栗川商店
1889年創業の栗川商店は熊本県山鹿市で来民渋団扇を作っています。来民団扇は1600年頃に香川県丸亀からの旅の僧侶が団扇の製法を伝授したのが始まりとされています。以降、阿蘇の外輪山に竹ひごに欠かせない真竹が豊富にあること、近くを流れる菊池川流域で和紙づくりが盛んだったことなどから団扇づくりが盛んに行われるようになります。来民団扇は仕上げに柿渋を塗る「渋引き」が特徴で、渋引きを行うことで防虫効果があり丈夫で長持ちする団扇に仕上がります。栗川商店は創業以来、毎年夏に自家製の柿渋を仕込み、それを3年以上熟成させたものを渋引きに使用します。今では来民団扇を作っているのは栗川商店一軒のみとなり、現在4代目の栗川亮一さんは子どもの誕生時に贈る命名団扇を始めるなど様々な付加価値をつけて渋団扇を盛り上げ、また、20年近く途絶えていた和傘「山鹿傘」の復活など地元の文化の継承にも力を入れています。近日5代目の伊藤恭平さんに代替わり予定。
■ 歴史・土地性 : 和紙や竹の産地だった山鹿で、400年以上伝え継がれた渋団扇
日本では京都、丸亀(香川)、房州(千葉)、そして山鹿(熊本)などが団扇の産地として知られていますが、もともとの起源はさらに古く、紀元前3150年頃の古代エジプトまで遡るとされています。日本では万葉集にも歌われ、涼をとるだけでなく、貴人や支配者の威儀を示したり、邪気を払うための祭祀具として用いられていました。熊本県山鹿市で作られる「来民渋団扇」は慶長5年(1600年)、四国丸亀の旅僧が一宿の謝礼として団扇の製法を伝授したのが始まりといわれています。肥後の国・山鹿郡は、当時から紙の原料となる楮(こうぞ)の産地として名を馳せていました。そのため、山鹿灯籠などでも使われる和紙の産地となり、竹が生い茂る土地柄でもあったことで、当時の藩主・細川候が団扇の製造を奨励し山鹿の地場産業になっていきました。最盛期には35軒の製造業者があり年間600万本(1935年)を生産していたそうですが、今では来民の渋団扇を作るのは「栗川商店」のみとなりました。
■ 素材 : 自家製の柿渋で、丈夫で長持ちする味わい深い団扇に
団扇の骨組みの竹材には、阿蘇外輪山(鹿本郡内)の山林に繁茂する直径7寸以上の3年物の真竹を使用しています。貼り付ける紙は、昔は地元の和紙を使っていましたが、今は八女和紙を中心に県内外のものを使い分けているそうです。和紙を生麩糊(しょうふのり)で貼り付け、仕上げに柿渋、ワニス、うるし、染料を施します。来民の団扇の一番の特徴でもあるのが「柿渋引き」。栗川商店では創業以来、自家製の柿渋にこだわってきました。毎年8月初旬頃、山鹿産の青い未熟な「ガラ柿(豆柿)」を潰して水に漬け、上澄みを濾して搾った生渋を発酵・熟成させて作ります。団扇の仕上げに使えるようになるには、3年以上かかるのだそうです。和紙に柿渋を塗ることで、防水・防腐効果があり強度が増すほか、タンニンの働きで防虫効果も得られます。はじめは薄茶色の和紙が、年が経つにつれて深みをおびた色合いになっていくため、経年変化も楽しむことができるのです。
■ 技術 : 竹で骨組を作って和紙を張り、包丁で成型。柿渋を塗って仕上げる来民渋団扇
来民渋団扇は、骨づくり、紙張り、型(なり)切り、縁取りと補強、渋引と、大きく5つの工程に分かれており、それぞれ専門の職人による分業で作られます。骨づくりでは、細く割った竹の先を細かく割り、放射線状に広げて扇部を作ります。1本あたり0.4~0.5mmほどの厚さにした竹をひねり、繊維をほぐします。骨組に四角い和紙を張る紙張りは、和紙の繊維を縦にして張ると裂けやすいため、必ず横向きにして、両面に貼っていきます。和紙を貼り付けたら、次は余った和紙と骨組みを切り落とす型切り。うちわの形に「型切り包丁」という特殊な刃物を当て、木槌で叩いて余分な和紙と骨組を落とします。その後、うちわの縁と根元の部分に、細く切った和紙を糊付けして補強。最後に、自家製の柿渋をムラにならないよう手早く丁寧に両面に塗って日陰で干すと完成です。
■ 思想 : 現代に伝えたい「モノを大切にする文化」。障害のある人たちの自立支援にも取り組む
4代目の栗川亮一さんが幼い頃、団扇はすでにプラスチック製のものが主流となり、伝統的な団扇の需要が激減していました。大学卒業後に家業に入り、1991年に31歳で4代目を継いだ栗川さんは、渋うちわの持つ素朴さや趣きを強みに変えようと、地元の素材と伝統の技にこだわり、記念品や贈答品としての団扇作りに方針転換していきます。また、栗川さんは本業の傍ら、地元山鹿の八千代座の復興や和傘の復活など、地域の活性化にも取り組んできました。2000年には小規模作業所「伝承塾」を立ち上げ、山鹿市やその近隣に住む心身にハンディのある人たちを作り手として受け入れてきました。2009年にはNPO法人化し、2018年時点で延べ1619人にうちわ作りや手芸などの技術を教示して自立支援に携わっています。モノがなかった時代に先人たちが編み出した知恵の結晶でもある、渋うちわを伝え残したいという栗川さんの思いは、5代目の伊藤恭平さんにも引き継がれ、着実に未来へと繋がっています。
※あくまでもうなぎの寝床が解釈する、つくりてのものづくりへの思いや思想です。
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