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【織元インタビュー #6】 つくる力、売る力。変化してきた伝統産業の流通構造と、新しい織元のかたち。/ 丸亀絣織物(2019. 5)

このコラムは、「第9回 もんぺ博覧会(2019年5月開催)」に付随した特集記事を転載しています。

伝統織物産地の流通構造。問屋がはたしてきた役割。

「職人は売り下手」という言葉を、ものづくりに携わる方々の口から聞くことがあります。どんな要望でもこたえる技術には自信があるけど、商品を伝えて売るのには苦手意識がある方も多いようです。

なぜそうなったのか。不思議だなと思うことも多々あります。
いろんな要因があるのでしょうが、織物業界において原因の一つだと思うのが、長い間つづいてきた伝統的な流通構造です。

国内の伝統的な織物産地では「織物工場 (織元)→買継→集散地問屋→小売」という流通構造が構築されてきており、作り手と小売店の間に、多くの問屋や業者が介在していました。

集散地問屋というのは、東京・京都・大阪・名古屋など大きな市場がある都市圏に存在し、名前の通り全国からの生地を集め、また各地の小売店の流通させる、取りまとめ役の大きな問屋です。

その集散地問屋と、織物工場(織元)をつなげる役割なのが「買継」です。買継の中でも、在庫を持たずにつなげるだけの「買継商」、在庫を持って注文に応じて商品を集散地問屋へつなぐ「産地問屋」、そこに企画機能まで有した「産元問屋」に分かれているようです。

久留米絣の産地も同じように、集散地問屋がある大都市圏から距離があることもあり、こうした「産地問屋」が発達しました。
戦前は、国武と本村という2件の巨大産地問屋(兼織元)をはじめ、多くの業者が久留米絣の産地にかかわっていたようですが、呉服としての需要が下火になった1980年代以降には徐々に構造は崩れ始め、現在は10数件の大小様々な産地問屋が直接、商品開発や販売を担っています。

また中には、織元工場(織元)自らが販売をはじめる例も出てきました。自分たちのところで織った生地で服をつくり、自らイベントや催事等で売りに行く形態です。さらに現在はネット通販もできるので、織元の販売ルートも多様化しています。

*参照「伝統的織物産地における買継機能の変遷と現在の状況について」
https://www.hosei-web.jp/chiiki/taikai/170315/c_05.pdf

 

生地生産から洋服まで。
産地の先駆者を襲った悲劇とは。

そんな中、福岡県広川町にある「丸亀絣織物」は久留米絣の産地でも、早くから生地卸だけではなく、洋服の製造販売まで行ってきた織元です。4代目の丸山重徳さん(66歳)が中心となり、20数年前から取り組んできました。

創業自体は140年以上前と古く、戦前は織子や女中を住み込みで抱えるほど繁盛したそうですがが、戦後は厳しい時代が続きました。重徳さんはそんな家業の苦労を見てきたからこそ、若い頃から継ぎたいという思いは全くなく、25歳まで福岡で飲食業をしていましたが、祖母の入院をきっかけに戻ってきました。

久留米絣の需要が減っていく中、問屋だけに頼っていてはいけないと、服などの商品開発もはじめ、全国のデパートや催事などを回ったといいます。

しかし、そんな丸亀絣織物を悲劇が襲います。2013年9月、なんと火事が発生し工場と自宅が全焼しました。

「正直なところ…これでやっと辞められるなぁと。家も工場も失くなって、良かったという意味ではないけど、やっと楽になれると思った。」

しかし、そこに待ったをかけたのが、服飾デザインを学び、家業を引き継いだ5代目の丸山重俊さん(34歳)です。自分のところで織られた生地で洋服をつくりたいと、廃業した織元などから織機を譲り受け、2016年には新工場を再建した。

火事からの復活。
オリジナリティこそが強みになる。

とはいえ火事は、織機だけではなく、代々つくってきた柄の図案や、重徳さんが生地見本のように大切にしてきた、200枚以上のシャツコレクションまで焼いてしまっていました。高齢のベテラン職人も辞め、火事以前の生産を取り戻すには時間を要します。

「それでも生き残れたのは、焼け残った生地の在庫で服をつくり、自社の販売ルートでも売ることができたからです。受注生産だけでは試せない奇抜な色や柄にも挑戦できますしね。」

今でも重俊さんは、東京の店舗や全国の催事での販売を担当し、重徳さんが広川で生産を担っています。絣づくりの技術を次世代に伝えていかなければいけない中、人材確保はこれからの課題です。

そんな中、重俊さんは久留米絣を続けていくためには「伝える」という要素が不可欠だと感じています。

「売れ行きや反応は順調なのですが、自分が販売にいかないと売れないことも多々あります。昔の作業着のイメージが根強く、置いてるだけでは価値が伝わらないのが絣の難しさですね。」

他の織元の生地を服にして売るという選択肢もある中、重俊さんが丸亀絣織物の生地にこだわるのは、オリジナリティこそが強みになると感じるからです。よそにはない色柄だからこそ、訴えられる力がある。日々、お客さんと向き合っているからこその実感です。

「今後は製造の方もしっかりスキルアップして、ゆくゆくは草木染めも挑戦してみたいなと思っています。うちだけのオリジナルの絣を作っていって、ネットやカタログ販売も整えていきたい。」

つくる役、伝える役、売る役。織元それぞれの特性によって、織元みずからがすべて担うこともあれば、役割分担をする場合もあります。かつての構造の崩壊は、新しいアイディアが生まれるチャンスでもあります。未来の産地のあり方を、考えていけきっかけになればと思います。渡邊

◎丸亀絣織物工場
〒834-0111 福岡県八女郡広川町大字日吉341
0943-32-0048

Photo credit: Koichiro Fujimoto

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