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【織元インタビュー #4】 三大絣産地の栄枯盛衰。伝統から産業までのグラデーションこそ強みだ。/ 山村かすり工房 (2019. 5)

このコラムは、「第9回 もんぺ博覧会(2019年5月開催)」に付随した特集記事を転載しています。

伝統的な製法から半産業化した製法まで。三大絣産地の歩んだ道。

かつて、日本の三大絣(かすり)産地と言われたのが、広島・岡山の備後絣、愛媛の伊予絣、そして福岡の久留米絣です。特に戦前は高級品として重宝され、1927年(昭2)、久留米絣の産地は約1500件の織元が存在し、50000人以上の従事者がいた時代もありました。

戦時中は綿の統制が行われ一時生産が途絶えた時期があり、一気に件数も生産量も落ち込みますが、戦後の1957年(昭32)には再び312件にまで織元が復活し、年間124万反ほどの生産を取り戻しています。

しかし、そこが戦後の絣の最盛期。洋装化・化学繊維の発展などにより、生産反数も織元件数も衰退の一途をたどります。1970年代以降は、備後絣は帆布やデニム、伊予絣はタオルなどへと移行していき、いまはそれぞれ備後絣は2件のみ、伊予絣は手織り保存会が残っている状態です。

当然、久留米絣も他産地と同じように厳しい時代を過ごしてきました。現在、久留米絣の織元は20数件まで減少し、生産反数も約7万反ほどになっていると考えられます。

ただ、久留米絣の産地の面白いところは、伝統的な製法(藍染、手織り、手ぐくり)と、半産業化した製法(シャトル動力織機、化学染料、機械くくり)が、混在しているところです。伝統的な製法で文化財レベルの絣をつくる作家的な織元もいれば、戦前の機械を使いながら新しい色柄の絣を生み出す現代的な織元まで、グラデーションがあるのです。

このグラデーションこそが、久留米絣の産地を面白くしている要因の一つであり、今後続けていく上で差別化できる特徴の一つになると思います。

絣の全盛期を駆け抜けてきた、山村かすり工房。生き残るための決断。

そんな明治からの久留米絣の栄枯盛衰を見つめ、激動の時代を乗り越えてきた織元の一つが、山村かすり工房。4代目の山村善昭(やまむら・よしてる)さん(64)は、現在シャトル織機による機械織りで、化学染料と藍染の糸を両方使いながら生産しています。

もちろん、1895年(明治28)に初代・山村定吉(さだきち)氏が創業した時代は、藍染・手織り・手ぐくりの伝統製法のみでした。高級木綿織物としてブランド価値が高まっていく中、定吉は織元は作るだけではなく自ら売れるようにならなければならないと、三男で二代目の山村進を熊本にやり「可斗屋商店」という屋号の直営店まで出しています。

そんな絣が大繁盛の時代、熊本で1930年(昭5)に生まれたのが、3代目で善昭さんの義理の父である、山村一成さんでした。厳しい戦時中の統制がようやく終わり、戦後も手織り藍染の絣を続けていた山村家でしたが、着物用の木綿織物の需要がなくなっていくなか、3代目の一成は1968年(昭43)に思い切った決断をします。

藍甕32本をすべてたたんで、廃業した近くの織元から動力のシャトル織機を譲り受けて導入し、藍染手織りから機械織化学染料へと方向転換を図るのです。ちょうど「ナフトール染料」という新しい化学染料が普及し始めた時代だったことも、この決断を後押しすることになったんだろうと善昭さんは話します。

城島瓦から久留米絣へ。畑違いだからこそ、できたこと。

4代目の善昭さんは、実は婿として山村家に入りました。久留米の伝統工芸品で鬼瓦などが有名な「城島瓦」をつくる家に生まれた山村さんは、28歳のときに山村家の次女であった奥様と結婚します。義父の一成さんからは継がなくて良いといわれましたが、苗字も山村姓に変え、畑違いながら久留米絣を続ける覚悟を決めたそうです。

時代は1980年代で、織元も問屋も徐々に減っていた時代。義父からは男性着物用で一番の定番でもあった、小柄で黒白の「ザ・久留米絣」を作りなさいと散々いわれたそうですが、新たな需要にこたえようとナフトール染料の配色を生かし、赤・緑・黄色などの派手な色使いもはじめます。

その後も着物・洋服にこだわらず、帽子メーカーと組んで商品開発をしたり、イベントやお祭りに自ら出展して販売をしたり、激しい需要の変動に合わせて、新しい絣作りに取り組んできました。

しかし15年ほど前、ある若者がやってきます。アパレルショップを辞めて藍染をやりたいと、藍染手織りの織元に3ヶ月の条件付きで弟子入りしていた野瀬さんです。善昭さんは、そんな彼に声をかけ、一大決心をします。

「うちで藍染を続けてはどうか?と提案しました。一時は32本あった藍甕は当時はもうなくなっていたけど、父と3人で8本復活させました。彼は今では藍染職人として、工場長として支えてくれています。」

「藍染=手織り」が当たり前だった中、山村さんは藍染の糸を使って、シャトル織機で機械織りをはじめます。高級品だった藍染めの久留米絣のコストを落とし、生地にもバリエーションが生まれました。化学染料と藍染をうまく使い分け、ときにハイブリッドも行いながら、独創的な生地を作っています。

自身が引き継いだ工房をどう継続させていくか。「よそ者」として入って来たからこそ、常識にとらわれずに色々なことが試せたと善昭さんは話します。いまは、40代から70代までいる職人たちに支えられながら、技術と知恵の伝承に取り組んでいます。渡邊

◎山村かすり工房
〒834-0105 福岡県八女郡広川町大字長延252
TEL:0943-32-0136

Photo credit: Koichiro Fujimoto

 

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