CLOSE
  • カテゴリーCategory
  • つくりてMaker
  • 素材Material
  • カラー・柄Color, Pattern
うなぎオリジナルUna Products
Clothing
Tableware & Foods
Houseware
ご進物・法人Gift & Order
つくりてMaker, Designer
素材Material
カラー・柄Color, Pattern
代表取締役 白水

代表係
白水

春口

キュレーター
春口

富永

交流・交易
富永

渡邊

リサーチャー
渡邊

【織元インタビュー #1】 久留米絣ってそもそもなんだ?まずはなにより「知って欲しい」 / 坂田織物 (2019. 5)

このコラムは、「第9回 もんぺ博覧会(2019年5月開催)」に付随した特集記事を転載しています。

久留米絣、まずは、キホンのキから。

絣(かすり)、紬(つむぎ)、絞(しぼり)・・・聞いたことはあるけど、意味はよくわからない、「糸」偏がつく染織用語はたくさんあります。植物や動物などの繊維から糸をつくり、それを織ったり編んだりして布をつくり、装飾としての柄を生み出す膨大な過程で、さまざまな技法と名称が生まれました。共通しているのは、いずれかの工程を示す言葉だということです。

その中で、絣(かすり)というのは、柄を生み出すための技法を指します。どうやって柄を作るのか?というと「糸を縛る(くくる)」ことです。織る前の段階の糸を縛り、染めて、ほどいて、白く残ったところが模様になります。織ったあとの布に色や模様をつくる染めやプリントと違い、かすれたような独特な模様になることから「絣(かすり)」といわれるようになったという説もあります。

そんな絣(かすり)は日本では他にも、琉球絣や備後絣など、さまざまな織物の産地で使われている技法ですが、旧久留米藩の周辺地域で発達した絣が「久留米絣」と呼ばれています。産地は実際には現在の久留米市ではなく、広川・筑後・八女などいくつかの市町村にまたがっています。

かつては300件以上あったといわれる織元も、現在は20数件ほどになりました。今回、もんぺ博覧会の開催にあたって、10件ほどの個性ある織元のインタビューを行い、「継続」をテーマにお話を伺いました。継いで、続ける。シンプルですが、大変なことです。

ファクトリー発信のブランドとして。お笑いの世界から服飾へ。

その難しさに真っ向から挑んでいる織元の一人が、坂田織物の3代目・坂田和生(さかた・かずお)さん(43歳)です。

若い頃はお笑いの世界を目指し活動していたそうですが、相方さんが辞めて他の道を選ぶことになったとき、次の優先順位として「洋服」が出てきます。2年半ほどアパレルブランドに勤務したのち、家業を継ぎ自分の服飾ブランドを立ち上げてみたいと思い、2002年、25歳のときに大阪から戻ります。

しかし実際に帰ってきてみると、厳しい現実に直面します。かつて大規模な産地だったころの影響か、激しい価格競争や家内工業ゆえの労力換算がきちんとできておらず、収益があがらないスパイラルに陥っていました。

「ただ面白い、楽しい、という気持ちだけでは続けることはできないことに帰って数年で気づきました。」

坂田さんは、父や職人さんから絣作りの技術を学びながら、付加価値をつけ収益をあげる仕組みを考え始めるようになります。

服飾デザインを学び、カラーコーディネーターの資格も持つ奥様の由香理さんと結婚されてからは、それまでの典型的な紺白の絣だけではなく、様々な色や柄にも挑戦するようになります。以前から生地だけではなく洋服の卸販売も行なってきましたが、2013年には念願だった新ブランド「TUGU.」も立ち上げ、新たな層の開拓に取り組み始めました。

「とはいえ、うちはデザイナーブランドじゃなくて、ファクトリー発信のブランドです。いい生地を作るのがまずは基本で、流行を追い求めすぎないことが必要と思っています。」

ニューヨークでの気づき。買ってくれ、ではなく、知ってくれ。

海外でも挑戦してみたいと思った坂田さんは、2017年にニューヨークの展示会に出展しべく渡米します。これが意識の変わる、一つの転機だったといいます。

絣という存在そのものが、全く知られていなかったんです。ガーメントディストリクトと呼ばれるニューヨークの生地の問屋街で、世界の絣(イカット)を見せて欲しいと伝えても、絣(イカット)そのものがわからない。ようやくわかる人がいて、ホームセンターにあるよと言われて行ってみたら、アジアの絣柄のプリント生地だったんです。」

糸を縛り染めて柄を作るという、とんでもなく手間のかかる工程を経て、先進国と言われる日本でいまだに作られていること自体、ある意味奇跡的なことです。産業遺産ともいえるほど、タイムカプセルのように残った産地だと思います。

ただ、そのかつての栄光や産地ブランドにあぐらをかいていても、売れるわけではありません。いまや絣のことも、その技法も知る人は多くありません。だからこそ「買ってほしい」の前に、まずは「知ってほしい」という思いの方が強い、と坂田さんは言います。

プリントでは表現できない味わいや、久留米絣の産地としての多様性とストーリーももちろん大切ですが、何より商品として魅力的でなければ買ってはもらえません。「現代のライフスタイルにあわせて、どう好奇心をくすぐり、興味を持ってもらえるのかを考えるのが、自分のいまの課題です。」

技術を知った上で、タブーに挑戦。重要無形文化財伝承者への道。

自社ブランドの立ち上げや海外への挑戦の裏で、坂田さんがコツコツと続けてきたことがあります。久留米絣の重要無形文化財伝承者への道です。

久留米絣には大きく分けると、伝統的な手織り藍染と、半産業化した化学染料機械織りの2種類があります(詳細は次回以降のコラムで)。坂田織物は後者の機械織りがメインの織元ですが、坂田さんは伝統的な技術も習得したいと、9年前から研修生として学んでいます。

文化財の久留米絣は、とんでもない労力がかかる工程で、商品というよりかはどちらかというと「作品」です。まったくリズムの異なる本業の絣作りと並行しながらで、なかなか道のりは険しいそうですが、坂田さんが挑戦しているのには理由があります。

「文化財保持者の方々は作家としてリスペクトしていますが、やはり自分が目指す立ち位置はそこではないとも思っています。本来の昔ながらの久留米絣の技術を持った上で、タブーに挑戦するのが大切だと思ったんです。」

綿以外にもいろいろな繊維に挑戦してみたり、デニムの絣に挑戦してみたり。坂田さんは久留米絣の最大の強みであるといえる「くくり」の技術と産業の仕組みを活かしながら、現代のニーズにあわせて新しいことを試していきたいと話します。

現在は、ギャラリー・事務所・撮影スタジオ、そしてゆくゆくは縫製場までつくりたいと話す、新しい社屋も建設中。継続していくためには、現状維持ではいけないのだという坂田さんの決意が表れているように感じます。

久留米絣の魅力の本質はなんなのか、現代でどう生き残っていけるのか、産地としてどう取り組んでいくべきなのか・・・引き続き本シリーズで追っていきたいと思います。お楽しみに。渡邊

Photo credit: Koichiro Fujimoto

 

読み込み中…