【つくりて訪問記】丸久商店 | 江戸の粋を注染にのせて。染物問屋のファミリーヒストリー

「今、AIに頼んでもこんなの出てこない!すっごい素敵な言葉を残してくれていて」と、ある資料を見せてくださった5代目の丸久商店の斉藤美沙子さん。

〝意匠の変遷は流れる水のように
いつもとどまる時はありません。
なんと云ふ気持のよい事でせう“

〝著者いま新江戸の美しい水の流れに
百種ばかりの手拭を浸して見ました”

これは、丸久さんの図案カタログの冒頭に添えられた一文です。
関東大震災で初代当時、大正時代の頃の会社資料はほとんどが焼失してしまった中、その直後に書かれたものが、オンライン古書店で偶然見つかり、買い求めたそうです。

「粋な表現だなぁ…。」この言葉を見せていただいた時、しばらく浸っていました。川や水が今よりもっと、人々の暮らしに身近だった時代、染められた手拭いや浴衣地がゆらゆらと泳ぐ風景が、当時は夏の風物詩としてあたり前に広がっていたのかもしれません。

染物問屋さんにとって、自分たちが受け継いだ染め柄の図案は、きっと家宝みたいなものなんだ。巡りめぐって、手元に戻ってきた喜びを、今も噛み締めるように大切にめくる斉藤さんの仕草から、そんなことを感じました。

明治32年(1899年)創業の丸久商店は、東京日本橋で、浴衣や手ぬぐい、のれん製品を手がけてきた染物問屋です。5代目の斉藤美沙子さんと、生き字引のように昔の時代の空気感も知るお母様、夫の山内昇さんが、懐かしむような雰囲気の中で、これまでの会社の歩みを話してくださりました。

地名に残る、運河の記憶

現在、会社のある日本橋堀留町界隈は、繊維関連の問屋が今よりも密集していたエリア。明治時代に、一気に繊維業者が西日本から移住して商売をはじめた街で、滋賀で商売をしていた初代も一念発起し、この場所で現在の商いをはじめました。

「昔の地図を見ると、ここは新材木町って言ったの」と、斉藤さんのお母様。会社からほど近い堀留公園に行くと、その理由がわかるという。

ここです!教えてもらった場所へ、足を運んで見ることにしました。 

ブラタモリみたいだ!と、ワクワクしながら現地に着くと、子供達がボール遊びをする公園の片隅に立て看板がありました。ここがかつての荷揚げ場跡だったようです。
かつては日本橋の下まで川でつながっていて、手ぬぐいや浴衣生地に多く使われる知多木綿も舟で運ばれ、愛知県からはるばるここまで来ていたそうです。「日本橋小舟町」「神田紺屋町」など周辺には他にも水運や繊維業に関する地名の名残を見ることができます自分たちの街も、そんな目線で地名を眺めて歩いてみると、また別の発見があるかもしれません。 

 

日本の芸能文化を支える仕事 

「昭和の時代はブームみたいなものもあって、一般家庭のお嬢さん達がそれこそ、ピアノを習う感覚で日本舞踊を習っていたんですよ」とお母様。丸久商店の顧客は、浴衣や手ぬぐい生地を扱う呉服問屋が中心だったため、芸事にだんだんと特化し、日本舞踊の題目にちなんだ柄や、流派ごとの柄の型紙を取り揃えていったのも特徴。手拭いも浴衣も、公演や挨拶、お年賀など様々な場面で使われるので、既製品だけでなく名入れをすることも。顧客のオーダーに適した染工場を選んで、完成品を必ず納期に納める。染物問屋として、お客様との信頼関係を積み重ねることを何よりも大切にされてきました。
100種類を超える専門柄。各地の祭りや芸能文化を支えてきた歴史が、この図案カタログには詰まっています。普段、何気なく使っていた手ぬぐいの知らなかった一面が見えた瞬間でした。

写真は注染に使う伊勢型紙の渋紙。美濃和紙に柿渋を使って2〜3層塗り重ねたもので、耐久性や防虫性がある。木枠に打ちつけて使うため、端が打ち付けの跡でボコボコであればあるほど、人気柄であることがわかるそうです。丸久商店ではこういった型紙を膨大に所有しています。 

 

受け継いだ型紙を、今日の街着へ


コロナを境に、お祭りやあらゆる公演関係が出来なくなったのをきっかけに、注文がしばらく来なかった時期があったそう。そこでオンラインストアやインスタグラムを始めてみたら、思いの外皆さんの反応が良かったのが発見だったという。

「『ここまで、グッと伝統柄をやっている店が今もあるんだね!』お客様からそんな声もいただいて。自分たちで発信して表に出ていくと、商品自体の価値も届けられるし、悪いことばかりじゃないなということで、江戸東京キラリプロジェクト(都の事業支援)に参加したり。少しずつ、動くようにチャレンジしていった。古くから丸久が持っていた「新江戸染」ブランドをしっかり前に出していこう、と」。

逆境が問屋の在り方そのものを見直すきっかけになり、2022年に生まれたのが、注染のファクトリーブランドTEWSEN(ちゅうせん)です。これまでの古き佳きとは少し違う、ポップさや軽やかな空気感のものができた、と斉藤さんは話します。

芸事をされる方の人口が少なくなる中で、丸久商店が目を向けたのは。「日常でまとえるもの」でした。浴衣は昔、ちょっと夕涼みにご近所まで着たり、寝間着やリラックス着として、当たり前に着られていたもの。でも、別の地域だと、「今日は何かお祭りでもあるの?」と物珍しそうに見られることに驚いて。そうして、浴衣生地を使いながら、祭りや舞台の外でも気軽に着られるウエアができないか。と思ったそうです。そこで、今回うなぎの寝床とコラボレーションしていただき、丸久商店の保有するたくさんの型紙の中から、「大綱」と「松皮菱」柄でダボシャツとMONPEをつくりました。ダボシャツには無地の久留米絣と、浴衣生地の知多木綿の2種類の生地を使用しています。小幅のシャトル織機でゆっくりと織り上げられた2つの綿生地は、蒸し暑い日本の夏によく馴染みます。ぜひ着比べてみてください。そして、江戸の浴衣文化、東京の注染を、袖を通して感じてみてほしいです!

ダボシャツ江戸本染注染 /ダボシャツ久留米絣/F MONPE江戸本染注染

丸九商店の一覧

 

感覚を、継承する 

見せていただいた丸久さんの手ぬぐいや浴衣柄には、古典柄でありながら、古さを感じさせない不思議な魅力があります。うまく言葉にできないのですが、柄も色調も洗練されて、ちょうど良い。そんな感覚なのです。その「らしさ」について尋ねると、明確な定義はないものの、5代目のセンス」「昔からどれ見てもうちっぽい」「感覚なんですよね」という言葉が返ってきました。代々の図案にはその時代を生きた人達の意識が反映されていて、斉藤さんの祖父や曽祖父の時代には当主達が自ら嗜んでいた長唄などの柄が題材に。近年は斉藤さんが、代々受け継いできた膨大な伊勢型紙の図案の中から、惹かれるものをピックアップし、配色を変えてみるなど、今の時代感覚に合わせてつくる「復刻シリーズ」という手ぬぐいも出されています。(手ぬぐいページリンク) 

もともと、浴衣は湯帷子(ゆかたびら)という風呂着だったルーツがあり、寝間着でもあったので、外出着というイメージは持たれていませんでした。そこへ先代達が独自に色を入れてみたり、おしゃれ着にもできるような「少しでも、洒落たもの」に挑んできた流れがある。各世代が、その時の今の時代感覚を持って、写してきたものが丸久商店の浴衣や手ぬぐいなのだと、ご家族のファミリーヒストリーを伺って、腑に落ちるものありました。

八女本店 田中 

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