【研究まにまに】『絣之泉』をめぐって
明治時代のエキスポに集められた全国の絣。
絣に関する史料を渉猟しています。ありがたいことに、現代ではオンラインのデータベースなども充実してきていて、地方にいてもある程度は文献調査が可能です。
そのありがたいデータベースのひとつに、国会図書館の「デジタルコレクション」があります。これは国会図書館の蔵書のなかで、主に著作権の消滅した古い文献をデジタル化し、インターネット上で閲覧できるようにしているサービスで、ものによっては印刷も可能です。
この「デジタルコレクション」で最近見つけた史料に、非常に興味深いものがありました。その名も『絣之泉』。出版は明治37年です。なんじゃいなと思ってぱらぱらと見てみると、絣の生地見本が延々と掲載されています。その数600枚。産地はさまざまで、越後から琉球までみられます。
何なのかよくわからんけど、ここから久留米絣の生地見本を抽出でもしてみたら面白いんじゃないかと思い、印刷し、改めて表紙を眺めると、なんと私は大きな見落としをしていました。これは重大史料でした。これは第五回内国勧業博覧会に出品された絣のうち、優品と認定されたものの図録だったのです。
内国勧業博覧会。それは明治時代のエキスポ。その名の通り、日本国内の産業発展を促進し、魅力的な輸出品の育成を奨励することを目的としていました。いわゆる殖産興業の一環です。政府主導で、5回開かれました。
その第五回、来場者数530万人を集めた最大にして最後の回は、明治36年(1903年)に大阪・天王寺で開催されました。この博覧会では「美術工芸」の他に「染織工業」部門が設置され、「工芸」と「工業」がはっきり分けられました。絣はこの「染織工業」のほうに出品されていたのです。
この分化の先に絣を含む織物の機械化があるわけですが、それに関しては追って別稿を用意したいと思います。なお、京都工芸繊維大学美術館が2011年に「京都のモダンデザインと近代の縞・絣」という展覧会を開催しており、その図録にこのあたりの経緯も詳しいようです。私は来週からしばらく関西で史料調査の予定なので、こちらも見に行こうと思っています。
この『絣之泉』が内国勧業博覧会をもとにして発行されたということは、当時すでに政府が全国の絣産地を把握し、その優劣を判断する基準をもっていたということになります。それは一体どういうものだったのでしょうか?国は絣をどのようなものと見なし、どう方向付けようとしていたのでしょうか。
それは、『絣之泉』の下巻、「総論」に書かれていました。
〜続く〜
岡本
《本日の文献》(出現順)
頼本剛他・編『絣之泉 : 絣柄組立応用』同仁社、1904年。<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/854310>
京都工芸繊維大学文化遺産教育研究センター・編『京都のモダンデザインと近代の縞・絣』京都工芸繊維大学, 2011年。