思い、巡らし、行動す 野村織物 / もんぺ博覧会2026

うなぎの寝床が久留米絣と関わりはじめて10年以上が経ちました。
その間に良いことも、そうでないことも様々なことが起こり、変化がありました。ただ、変わらないのは、織元も私たちもみな、久留米絣を伝えたい、久留米絣を繋げていきたいと日々模索し、葛藤し、動こうとしていることです。久留米絣に関わるそれぞれが「今」考えていることや取り組んでいることを記してみたいと思います。


「手仕事」と「工業」の境界は、

とてつもなく曖昧

人間にとって最初の道具は「手」だ。赤ん坊も自らの手を、謎の物体を見るかのように、発見する。大きくなるにつれ、どう手を動かすかを習得し、食べ物や道具をつかみ、TPOに合わせて使い方を覚え、手はさまざまな機能と役割を果たしていく。人間が使う道具は、身体的にも社会的にも人間の手の延長であり、ある意味では身体の一部ともいえるのだ。

ものづくりの現場にいくと「手仕事」と「工業」の境界はとてつもなく曖昧だと感じる。産業革命が起こり、機械が手を触れずとも動くというショックが、その言葉の境界を形作っているような気がしてならない。実際には、人間による微調整や絶え間ないケアを必要とすることも多いし、勝手に動いているわけではないからだ。

久留米絣の産地では、まさにこの産業革命の機械化の第一波が、いまもそのまま産業遺産として現役で使われ残っている。手織りに対して使われる言葉である「機械織り」の久留米絣は、90年近く前の豊田式鉄製小幅動力織機(通称:Y式織機)で織られている。これは、20世紀末にトヨタ自動車の創業者でもある豊田佐吉によって開発された織機で、名古屋にあるトヨタ産業記念館には創業の歴史とともに展示されている。

この動力織機は、とにかく人間のケアとメンテナンスを必要とする。1図案分(約24cm)が織り上がると、織機は自動的に止まり、新たなシャトル(緯糸がセットされた道具)と交換して、柄があっているかチェックしながら、織りを再開させる。湿度や温度によっても織機と糸の状態が変わるため、毎日調整を加えなければならない。とはいえ、1人の職人が4台の織機を監督しながら動かしているため、手織りと比べたらもちろん織り効率は桁違いだ。

 

経緯絣をはじめ、
複雑なかすり柄を織り続ける「野村織物」

高難度の経緯絣(たてよこがすり / Double Ikat)を動力織機で織れる産地は、実は世界中を見ても久留米絣だけだ。広川町にある野村織物は、昔から経緯絣をはじめとした複雑なかすり柄の美しさで知られる機械織りの織元だ。その美しさの背景には、織りに至るまでの丁寧な手仕事リレーにある。糸を括り、染めて、模様を作り、糸を分けて、織機にセットする。久留米絣ができるまでの30もの膨大な工程は、手織りも機械織りも一緒なのだ。

野村織物ではこの数年で世代交代が一気に進み、職人の平均年齢が30-40代になったという。技術継承に取り組みながらも、職人たちが作ってみたいデザインや色を社内募集して織ったりするなども活発に行われているそうだ。実際、工房に並ぶ色柄を眺めていると、なんだかワクワクするようなフレッシュさを体感できる。

人が入れ替わっても、動力織機はずっとそこにあり続け、動き続けている。もはや、動力織機そのものが年季が入ったベテラン職人にも思えてくる。また新しい担い手の一部となり、人間と機械が共に作る風景が、繋がっていくのだ。

 

 

うなぎの寝床 / UNAラボラトリーズ 渡邊 ∈(゜◎゜)∋ ウナー

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