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【織元インタビュー #8】 化学染料と天然藍、どちらも久留米絣。でも最終的に「藍染」にたどり着いてほしい。/ 藍染絣工房 山村健(2019. 5)
このコラムは、「第9回 もんぺ博覧会(2019年5月開催)」に付随した特集記事を転載しています。
藍の葉から抽出するインディゴ成分
何度も染め重ねてつくる天然藍のグラデーション
「藍」には、実はたくさんの色があります。藍の葉から発酵・抽出されたインディゴ成分が、酸素と反応して発色するのですが、一度染めただけでは深い藍色にはなりません。何度も染め重ねることで、薄い色から濃い色まで染め分けることができる天然染料なのです。
たとえば、何度か浸したくらいの淡い藍色を「甕覗(かめのぞき)」といい、他にも「藍白」「白殺し」「浅葱(あさぎ)」「縹(はなだ)」「青藍(せいらん)」など、よく知られる藍色になるまでにも、何色ものグラデーションが存在するのです。
ただ天候や藍の状態によって、日々の発色の仕方が異なる天然藍の場合、このグラデーションを常に均一に染め分けるのは非常に難しく、たて糸・よこ糸の状態で何日もかけて染めていく久留米絣の場合、昔から「濃藍」に近い濃紺に染められるのが定番でした。
藍は、植物由来の天然染料です。しかし実は品種が一つではありません。インド藍として知られるのはマメ科コマツナギ属、琉球藍として知られるのがキツネノマゴ科イセハナビ属、そして日本本土で使われるのがタデ科イヌタデ属の蓼藍(たで藍)なのです。
たで藍は現在、ほぼすべての生産が昔から阿波藍の産地として知られる徳島県に集中しています。大量の藍の葉を100日間かけて発酵させ、乾燥してつくる「蒅(すくも)」と呼ばれる染料を作っています。近年では藍農家が激減し、蒅をつくる藍師もどんどん減っているそうです。
こうした天然の藍が減っていった背景には「インディゴピュア(化学藍)」の発明があります。ドイツの科学者アドルフ・フォン・バイヤーが1880年に化学的に染料のインディゴ成分を合成する方法を発明し、1913年には天然藍にとってかわって世界中に急速に普及しました。
久留米絣の産地でもインディゴピュアは導入され、「半建て」と呼ばれる手法で天然藍と化学藍を半分ずつ混ぜて染める織元も多くありました。化学藍は一回の染めで濃く染め上がるため、天然藍のように何度も染め重ねる必要がありません。その分色落ちがしやすいというデメリットもあります。
「藍」に魅了され、
化学染料から天然藍染へ転換。
天然藍はとにかく手間も時間もかかる重労働です。それでも天然藍にしか出せない色の深みがあります。
その魅力にとりつかれて、化学染料から天然藍に移行し、追求しつづけているのが藍染絣工房の4代目・山村健さん(69歳)です。美しい藍色のグラデーションと、モダンな幾何学模様が特徴で、山村さんの生み出す久留米絣に囲まれると、思わず深呼吸したくなります。
今は藍染手織に特化している山村さんですが、3代目・山村衛さんの時代は様相が異なっていました。戦時中に結核を患った衛さんは、他の織元に遅れをとり1951年に再始業。高度経済成長期に突入していく昭和30年代、シャトル織機や化学染料を導入し、工業化を進めました。しかし跡を継いだ健さんは「藍」という染料に魅了されていきます。
「うちでは当時、化学染料しかなかったから、藍染は外注で染めてもらっていたけど、どうも品質が悪かった。昔はインディゴピュアという藍色の化学染料を混ぜてるところも多く、すぐ色落ちしたんです。」
もっと綺麗な藍色に染めたい。そんな思いに駆られた健さんは、人間国宝の松枝玉紀さんに教えを仰いで、天然藍染の基礎を教わり、その後は独学で技術を身につけていきます。
しかし当時、問屋は藍染も化学染料もほぼ同じ値段でしか買ってくれず、天然藍染は手間がかかる割には利にならなかったそうです。それでも「無理して売らんでもよかろうもん」といって質を落とすことなく、昭和60年代には、化学染料を完全に止めて、天然藍染の手織に一本化しました。
高齢化による、手織の存続危機。
インテリア用生地として伝えたい。
もともと久留米絣の手織は、織元が仕込んだ糸を、刑務所や農村などの集落に持っていって織ってもらう「出機」の仕組みでつくられてきました。しかしそうした織子の高齢化が進み、手織の織元の中には、この数年で廃業せざるをえなくなっているところも多いのが現実です。
藍染絣工房も例外ではありません。10年前までは5~6人はいた織子も、いまは実質2人に。しかも高齢化で生産効率も落ちてしまっているのが現状です。
新しく人を雇うには、より広く生地を売り利益を生み出す仕組みにしなければいけませんが、機械織に比べると、藍染手織は手間もかかり、値段も高い。洋服などで広く流通させるのが難しい分、販路開拓は大きな課題です。
「久留米絣はもともと着物生地でもあったけど、高級ふとん生地として嫁入り道具の定番でもありました。うちはインテリア用のテキスタイルとして、藍染手織を普及させていければと思ってます。」
近年では「YAMAMURA BLUE」というブランド名を掲げ、台湾をはじめ国内外で出展し、販路開拓と情報発信にも取り組んでいます。機械織の久留米絣が広まり裾野が広がっていく先に、こうした伝統の藍染手織の美しい世界があることを、多くの人に知ってもらえたらと思います。渡邊
◎藍染絣工房 山村健(YAMAMURA BLUE)
〒834-0105 福岡県八女郡広川町長延241
0943-32-0332
Photo credit: Koichiro Fujimoto
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