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【織元インタビュー #7】 シャトル織機がもたらした産業革命。機械織りで追求する、手織りのやわらかさ。/ 下川織物(2019. 5)
このコラムは、「第9回 もんぺ博覧会(2019年5月開催)」に付随した特集記事を転載しています。
レトロな機械が動く、久留米絣の機械織り工房。
実はトヨタとの意外なつながりも・・・!
久留米絣の機械織り、と聞くと、大きな織物工場でガシャガシャ織られているようなイメージを持つ方もいるかもしれません。私も初めて織元を訪ねたときは、そうでした。
しかし実際には、手織りの延長線上にあるような、とてもレトロな機械で、工房も一時代前の「産業遺産」のような雰囲気を残した光景が広がっています。
機械織りの工房で使っている織機(しょっき)は、シャトル式の小幅の動力織機も呼ばれ、いまでも織元では80年ほど前のヴィンテージものの織機を、メンテナンスしながら使っています。
現代の高速織機に比べると糸が張られすぎず、織りがゆるやかなのが特徴で、軽くやわらかい風合いになります。
もちろん、長い人類の歴史の中、もともとすべての織物は「手織り」でした。しかし1785年、イギリス人のエドモンド・カートライトが電気で動く「動力織機」を発明し、産業革命の原動力にもなりました。
まだ江戸時代だった当時の日本では、すぐには導入されませんでしたが、幕末の1867年に薩摩藩が開設した「鹿児島紡績所」で、蒸気機関で動く織機100台が日本で初めて輸入されたのだそうです。
その後、明治の時代になってから、トヨタ自動車の創業者である豊田佐吉によって、1896年に初の国産動力織機が発明されます。当時、ドイツのハルトマン社製の動力織機が872円したそう中、豊田佐吉の動力織機は38円!手織りに比べると生産性が20倍にも伸び、一気に日本の繊維業界の機械工業化が進むのです。
久留米絣の機械織りの織元で使われる「シャトル織機」は、まだ着物の反物幅(38cm)という非常に小幅の織り機を使っており、全国的にも珍しい存在になっています。もちろん生産はもうされていないので、みんな廃業した織元から部品をもってきたりして、うまくメンテナンスしながら使っている状態です。
手織りに近い、風合いを求めて。
効率と実験のバランス。
同じシャトル織機でも、糸の番手(太さ)や本数、ヨコ糸の打ち込みの強さ(密度)などで、生地の風合いや柔らかさが異なります。
1948年創業で八女市に残る唯一の織元でもある下川織物は、その中でも手織りに近い風合いを追求してきた織元で、もんぺにしたときの穿き心地も抜群です。うなぎの寝床のオリジナルもんぺの生地をはじめ、当初から一緒に取り組みを続けてきました。
その探究心旺盛なスピリットは、2代目の下川富彌さんの時代から健在で、人件費のかかる久留米絣の生産効率をあげるため、無地の生地を織る体制を構築し、シャトル織機も12台から20台に増強。大型観光バスを受け入れて産地観光をはじめるなど、業界でも先駆け的な取り組みを行いました。
3代目の下川強臓さん(48歳)は経営コンサルタントを目指し東京の大学へ進学したものの、後継ぎのいない織元が、取引先から将来性がないと判断され、少しずつ生産量が減り、やがて廃業していく姿を目にします。
「自分探しをしに東京へ行ってはみたものの、自分が何をしたいかではなく、周りの人のためにできることをすることが、最終的な結論でした。」
継ぐと決めた翌日には引っ越しを始め、大学の卒業式も待たずに22歳で家業を手伝い始めました。生産や営業を経験しながら、下川さんは糸や風合いや染め方など、自分なりの技法の実験を繰り返していきます。
「テキスタイル」は世界共通語。
開発精神とオープンさで未来を拓く。
そんな下川さんのオープンさと探求心に惹かれてか、3年ほど前からは海外からの訪問も増え、フィンランド・オランダ・スウェーデン・フランスなどのアーティストやデザイナーとのコラボレーション作品も生まれました。
「たて糸があってよこ糸があって、織物は世界共通なんです。音楽が世界の共通語だとすれば、織物も同じ。もちろん買ってもらうのも大切なんですが、何よりも僕にとって久留米絣はコミュニケーションツールなんだと気付きました。」
ただ、続けていくためには時代に合わせた進化も必要です。30工程もある久留米絣は、その膨大な手仕事を家内制手工業だったり農家の副業だったりでまかなっていましたが、もうかつての生産環境は存在しません。これから久留米絣を織り続けていくためには、生産システムに何かしらを変化をもたらすことが必要です。
「うちのアイデンティティは開発精神にあると思っています。織りの構造からビジネスの仕組みまで、新しいアイデアを出せるかが肝心です。」
海外のアーティストたちとの交流を通し、久留米絣を「織物」という広い視野から俯瞰して見られるようになったそうですが、同時に自分と久留米絣は一心同体だとも感じているそうです。
「いまは正直、久留米絣のために!という意識はそんなにないですが、でも、織元に生まれていなかったら出会えなかった人や経験があり、自分の生きた証を久留米絣という名の織物に残していけるのは、幸せなことだと思います。」
手織りしか知らなかった人々が、機械を導入し、新しい時代にあわせたものづくりの改革をしたように、これからもそうした進化は必要になってくるのだろうと思います。と同時に、進化しすぎなかったことで小幅のシャトル織機が残り、現代の織物で失われた風合いが、半産業化した状態で残っている、というのも、この産地の強みです。
進化と保存。どれくらいのバランスで、どう変化をしていくべきなのか。産地の強みをどこと捉えて、残していくべきなのか。シャトル織機からいろいろと考えさせられます。渡邊
◎下川織物
〒834-0024 福岡県八女市津江1111-2
0943-22-2427
http://oriyasan.com/ja/
Photo credit: Koichiro Fujimoto
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