九州と地域文化【2】 ~「食」=食べること、食卓を囲むこと~
九州の「地域文化」を研究する前に
「九州ってどんなところなんだろう?」
この九州という地域に焦点を絞って、地域文化を考えて(研究して)みる前に「地域文化ってなんだろう?研究会」の新人研究員となった私(研究員U)が、九州のことで一般的にわかっていること、知っていることを記していこうと思います。
例えば「食」。
食べること、食卓を囲むことの中に、九州の特徴はあるのでしょうか?
九州ならではの食文化
出身は北海道、ながらく関東地域で暮らしてきて、九州に移住してきたばかりの私、研究員Uは、移住する前に、福岡をはじめその近県の佐賀や大分、少し足を延ばして鹿児島まで出かけたとき「九州独自の食文化」を感じました。移住後、近隣で新鮮な食材(肉、魚、野菜なんでも)がそろう九州ならではの食の豊かさを感じるとともに、関東とは違う食文化にも日々触れています。
まずは醤油が甘いこと。(関東で売られている醤油を見かけることがあまりない!)
小麦の生産量が北海道に次いで多いからなのでしょうか?麺類が豊富で、ラーメンやうどん、ちゃんぽんが美味しいこと。そして何よりうどんが安い。うどんと同じ具材なのに、そばの値段の方が高いお店がちらほらあるんだと知りました。
ちくわやかまぼこ類の品数が多くスーパーで驚いたこと。
国産海苔の多くを占めているのが有明海の海苔で、さらに海苔の産地が九州地域に集中していること。
豆腐の形が九州は立方体のものが多いこと(関東は長方形のものが主流なので!)。
焼き鳥の「とり皮」は、巻き方が独特で、カリカリの焼き上がり。一気にまとめて何本もオーダーすることも初体験。
砂糖だけじゃなく技術や文化も運んだ「長崎街道」
食文化のながれのひとつとして、とあるお菓子屋さんの店先で知ったのが、長崎〜佐賀〜小倉まで続く長崎街道のことを砂糖の道「シュガーロード」と言うこと。カステラが長崎の地で生まれ、この道から広がっていったとか。まるで東洋(中国・西安)と西洋(イタリア・ローマ)のあいだの交易や文化をつないだシルクロードみたいです。
その昔江戸時代のころ、海外から輸入品としてやってきたものは、長崎の出島から入り、砂糖だけではなく、香辛料や陶磁器の原料になる陶石までも一緒にこのシュガーロードを通って運ばれていたようです。
砂糖を使ってつくるお菓子の技術やそれを食す文化、陶石を使ってつくる陶磁器の技術ややきもの文化などもこの道にそって発展していったのでしょうか?
食材を盛り付けるための皿や茶碗をつくる「ものづくり」の技術が浸透していったのも、食の豊かなこの地域だからこそなのではないでしょうか?
食べることだけに留まらず、地の利を活かしたやきものを目で見て、手で触って、楽しみながら食を満喫してきた文化があるのかもしれません。
ちょっと詳しく調べてみたいものです。
僧侶が伝えた日本茶の産地
北海道ではまず見ることのない茶畑。九州でとれる八女茶、知覧茶などは、北海道でも関東でも少し高級な日本茶で、自分で購入するよりは贈答品というイメージがありました。
八女に居を構えてからは、道行く風景の中に茶畑が見えると、やっぱりお茶は温暖な気候の中で育つものだと実感します。八女茶をはじめとする日本茶専門店が近隣にたくさんあること、お茶時間にコーヒー、紅茶と同じくらい、八女茶のような日本茶も気軽によく飲まれているようだし、心なしかお茶の淹れ方が上手な方も多いと日々生活の中で感じています。
そのせいもあってか、美味しいお茶にめぐり合う機会も多く、最近ではお茶の種類を気にしながら味わっていることに気づきます。
今から約800年前に佐賀県の脊振山ではじめてお茶の種子が蒔かれたこと。
約600年前には福岡県の霊厳寺を建立する際に、僧周瑞が八女茶の栽培をひろめたこと。
九州でのお茶づくりの歴史は長く、栽培が盛んになるにつれ庶民の生活にも広がっていき、今現在も九州の食を語る上で欠かせない、お茶の存在についても触れずにはいられません。
こんな手がかりや考え方を参考にしていただき、九州地域では、どんなひとたちが、どんな手法で、どんなものを生み出して、身の回りの暮らしを作り整えて生きてきたのか、一緒に考えて(研究して)みませんか?
そしてみなさんが今暮らしている(もしくは、過去に暮らしていた)地域との違いを見出して、あらためてその土地の良さや独自性に触れていきませんか?