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「縞」で楽しむ久留米絣 [生活に根ざす縞を再解釈する](2024. 03)

10年越しの久留米絣定番MONPEリニューアル!
初心に帰って久留米絣の魅力を深掘るコラムシリーズ(全5編-4)

一本一本の糸並びだけで表現する世界「縞」

糸の配色・配列で模様を表現する「先染織物」である久留米絣では、くくりによって表現した絣生地はもちろん、くくりを用いない「縞(しま)」なども取り組まれています。

くくりによる柄表現は久留米絣の大きな特徴の一つではありますが、糸並びだけで模様をつくる「縞」にも同様に奥深い世界が広がっています。今回は、久留米絣産地で取り組まれている「縞」についてご紹介します。

「ファーマーズMONPE 古典縞」の商品一覧はこちら

 

庶民の暮らしに根ざした「縞」

「縞」とは、たてまたはよこへ筋のように描かれた文様のことです。江戸時代から現在まで、庶民の日常着として親しまれてきました。縞の太さや配列、配色の組み合わせは無限大で、シンプルに見える縞の世界でも多様な色柄が生み出されています。

昔は、特に地方では、自分たちで着るものは自分たちで織るのが当たり前。「機織りができないと嫁にいけない」とまで言われていたそうです。どんなデザインにしようかと悩んだ時に昔の女性たちが眺めていたのが、家に代々残されていた「縞帳(縞手本)」でした。小さなハギレを貼り込んだ見本帳には、どんな色や本数で作るのか、詳細なメモが書き込まれ、気に入った柄を見つけては縞帳に追加することもあったでしょう。

そうして家ごと、地域ごとに、代々伝わる「縞模様」が、かつては存在していました。世界的に見れば、スコットランドで氏族ごとに異なる柄を持つ「タータンチェック」などにも共通点があると言えるかもしれません。

 

制限の中から生まれる、自由な表現

カツオ縞

子持縞

滝縞

昔から織られている縞やその名称をみていくと、縞を何かに見立てて表現することが多くあります。例えば、鰹のお腹のグラデーションのように色を並べた「カツオ縞」、太い筋を親、細い筋を子に見立てた「子持縞」、滝の落ちる景色を表現した「滝縞」など、線の細かな違いに意識を向けながら多種多様な模様がつくられています。

縞は織物の表現において、「糸の並べ方だけを変える」という制限があります。しかし、そうした中でもその時々にある技術や発想を用いながら、自由に楽しまれてきたのではないでしょうか。こうした縞の面白い文脈や表現も知ってもらえるように、うなぎの寝床のMONPE(特にFarmers’ MONPE)では、縞を取り入れています。

 

久留米絣を体感する
そのための「ファーストステップ」

また、久留米絣を現代の多くの方に体感してもらうためにも「縞」はフィットしていると考えています。それは、縞が普段ばきしやすい柄であるという理由はもちろん、久留米絣の生産現場にも深く関わります。

くくりを用いた絣生地は、30にも及ぶ手仕事の工程があり、生産に多くの手間と時間を要します。工程が多くなる分、価格にも反映されるため、現在では多くの織元さんで手間と効率のバランスを考え、日常生活に取り入れやすい無地や縞などの柄も同時に生産されています。

もちろん久留米絣にとって「絣」という技法は大きな特徴の一つですが、それだけでなくシャトル織機だから生まれる「風合い」を体感してもらったり、無地から柄物まで幅広い生地から自分の生活に合うのもを選んでもらうことも、久留米絣をこれからも伝えていく上で大切な要素だと考えています。日常着として久留米絣の魅力を体感してもらうために。また、その先にある久留米絣の奥深さを知ってもらうために。久留米絣に気兼ねなく触れるファーストステップとして、久留米絣の「縞」を捉えています。

 

ラインは実は、縞なのだ!
改めて考える「縞」の可能性

糸の配色・配列で模様を表現する「先染織物」である久留米絣。今ある技術や発想をもって、どんな縞が表現ができるのか。うなぎの寝床では、MONPEを通して久留米絣の「縞」について考えてきました。

今回仲間入りしたFarmers’ MONPE トラックパンツもその一環として生まれています。

通常の久留米絣の縞は生地全体に縞を並べますが、「トラックパンツ」は生地の端のみに縞を配置。MONPEとしての形になることで端の縞がサイドに入り、まるでスポーツウェアの「トラックパンツ」のような印象になりました。

うなぎの寝床では、MONPEというフォーマット(型)に生地を当てはめるという考え方が基本にあります。「MONPEの形になって初めて模様が完成する」という生地の作り方は初めての試みで、発想の転換ができる貴重な機会になりました。

生地制作:久保かすり織物

トラックパンツは「生地の端」に縞を配置

縞だけど、縞っぽくない。MONPEだけど、MONPEっぽくない。久留米絣という200年以上伝わり続けている織物が、現代のライフスタイルにもフィットする「Farmers’ MONPE トラックパンツ」をぜひ穿いて、体感してみてください!

「Farmers’ MONPE トラックパンツ」の商品一覧はこちら

 

【補足】
筑後地域の「絣」と「縞」の成り立ち

自給自足から「産業」へ

まだまだリサーチ段階ですが、久留米絣の産地である筑後地域の「絣」と「縞」について、少し補足です。この地域での「絣」と「縞」は、共に長く織り続けられていますが、その成り立ちはそれぞれの歩みを経て生まれています。

家庭で着るものは家庭で賄われていた時代。筑後地域一帯でも元々織物づくりは行われており、無地や縞の織物がつくられていました。

久留米絣が生まれたのは1800年頃。当時12、3歳だった井上伝によってその原型が考案されたと言われています。また、伝は1000人を超えた弟子を抱え、生涯にわたりこの技術を多くの人に伝えました。そこで学んだ多くの弟子たちが独立して織物業を開業し、久留米絣が産業として発展していきます。その後、田中久重の板締絣、大塚太蔵の絵絣、牛島ノシの小絣など、多くの人たちの創意工夫によって、現在の久留米絣が生まれました。

筑後地域での「縞」生産は1870年頃、小川トクの活動を経て盛んに取り組まれるようになりました。江戸から移り住むこととなったトクは、久留米では江戸と比べて絣以外の織物が未発達であったことに気づき、「縞」の生産に尽力します。また、伝と同様に多くの弟子に技術を指導したことで家庭で賄われる織物としてだけでなく、産業として縞の生産が発展しました。「久留米縞」とも呼ばれ、久留米絣と並ぶ特産品として販売されました。

現在では久留米絣の生産は筑後市、八女市、広川町周辺で行われています。縞の生産は、久留米絣の織元を中心に取り組まれています。

<参考文献>
古賀勝(2014)「くるめあきんど物語 織屋屋のでん伝」
古賀勝(2015)「くるめあきんど物語 まぼろしの久留米縞 小川トク伝」
中村健一(2005)「伝統織物探訪 久留米絣の歴史」繊維学会誌 Vol.61, No.6, P.152-P.156

 

初心に帰って久留米絣の魅力を深掘るコラムシリーズ。次回は最終回、久留米絣の「風合い」についてです。かるい、涼しい、気持ちいい、久留米絣の風合いとそのバリエーションから、産地の可能性や、うなぎの寝床としての役割などを考えてみようと思います。

続きはこちら↓
「織」で楽しむ久留米絣 [風合いの多様性と可能性]

荻野

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