ムーンスター
株式会社ムーンスターは1873年に福岡県久留米市で創業した靴メーカーです。地元では学校用の上履きなどで知られ、ブリヂストン、アサヒシューズと並んでゴム三社と称されます。創業当初は足袋の製造を行い、1894年に日本で初めてミシンを導入し足袋の大量生産に成功します。1920年にはアメリカのキャンパスシューズからヒントを得て布とゴム底がゴム糊で貼り付けられることを知り、日本初の地下足袋研究に着手し、貼り付け式地下足袋の生産・販売を開始して全国へと普及します。1925年には運動靴(紐付きキャンバスシューズ)やゴム長靴製造を本格的に開始し、1950年代以降はオリンピック選手への商品提供など大きく発展します。久留米工場では国内でも僅かな工場でしか採用されていないヴァルカナイズ製法(加硫製法)やインジェクション製法など、精品主義のもと長い歴史の中で培ってきた技術と経験が製品作りに活かされています。
【うなDIGTIONARY】
●地域に根ざしたゴム靴メーカー 前編 / ムーンスターから見えるNATIVESCAPE
■ 歴史:足袋からゴムへ日本の履物の歴史を牽引する月星印
1873年、創業者である初代・倉田雲平が、久留米市米屋町で座敷足袋作りを開始。屋号であった「槌屋」の名をとり「つちやたび」として、オーダーメイド式の販売を始めました。西南戦争の軍用被服を請け、初めて大量生産に成功するも、その後に軍需に失敗し、足袋製造に専念することになります。足袋製造に日本で初めてミシンを導入したり、九州で最初に自動車を購入、宣伝に活用するなど時代の最先端を走っていました。1920年代にはアメリカ製のキャンパスシューズからアイデアを得て、布とゴム底をゴム糊で貼り付ける製法の地下足袋を生産、販売を始め、関東大震災での復旧作業で活用されたことから全国へと普及します。その後、海外輸出にも力を入れ、1928年に制定した「月星印」(南方輸出国にはコウモリ印)を掲げ、中東アフリカやイギリス、西ドイツなどに進出しました。南極観測隊派遣にあたって特殊防寒靴を寄贈した際には、零下50°Cの厳寒に耐えられる保温性、柔軟性、防滑性、耐久性に優れた商品が、日本隊のみならず外国隊の間でも評判になりました。こうして創業から一貫した、時に過剰とも言われる品質管理で、真面目な靴作りを続けています。
■ 土地性:労働者に喜ばれた、より安全で機能性のある履物
ムーンスターの所在地である福岡県・久留米市は「ゴムの街」と呼ばれています。久留米において、かつて「ゴム三社」と言われたのが、世界大手のタイヤメーカーに成長したブリヂストンと、ゴム靴メーカーのアサヒコーポレーション、そしてムーンスター(旧月星化成)でした。特にムーンスターの上履き靴は、1964年から現在まで、定番商品として全国の人々から愛されています。久留米のゴム産業が発展したきっかけは、ムーンスターの創業の歴史と同じく「足袋」だったそうです。特にムーンスターが参考にしたアメリカ製のゴム靴は、船乗りのデッキシューズとして足元が滑らない機能性を重視していたことと同様、ゴム底を貼り付けた地下足袋を大牟田の三池炭鉱に提供したところ、坑内の上り下りでも足元が滑らず、丈夫で長持ちするので能率が上がる、という大変な評判になったことも生産の後押しとなったそうです。創業者の先見の目だけではなく、丈夫な履物が必要とされる土地性が福岡県南にあったことも、久留米のゴム産業発展の鍵になっていたのかもしれません。
■ 素材:遊び道具から、生活に必要なものへ進化したゴム
初めて欧米の歴史にゴムが登場したのは、クリストファー・コロンブスの2回目のアメリカ探検(1493年〜1496年)にてハイチ島で現地人がゴムまりで遊んでいるところを目撃、帰国後に報告したことだと言われています。当時、生ゴムは弾性、防水性があっても冬は硬く夏は柔らかくなり、油に溶けてしまうなど、単に奇妙な物として扱われ、工業的には用いられていませんでした。しかし、1839年にチャールズ・グッドイヤーが加硫法というゴムに硫黄を加え加熱する製法を発明すると、ゴムの品質が格段に向上、タイヤなどの製品に使われるようになりました。ゴムの木は高温多湿かつ風の強いところでしか育たないため、良質なゴムもともと南米のアマゾン河流域にしか生息していなかったそうです。しかしイギリスがブラジルからゴムの樹の密輸出に成功、植民地だったマレー半島やボルネオにも栽培されました。ムーンスターも「ゴムのメーカー」としてのゴム素材にこだわった靴作りを続けています。天然ゴムと合成ゴムの配合調節や、ガラス繊維とラバーを合わせた防滑性の高いソールの開発など、独自開発を通してゴムという素材の可能性に挑戦し続けています。
■ 技術:しなやかで丈夫な仕上がりを求め、手間のかかる製法を守る
ヴィンテージのゴム底スニーカーような風合いでファンから愛されるムーンスターの靴は、職人の技術と特殊な設備によって成立しています。靴の製造には様々な手法がありますが、ムーンスターでは焼きもののように加硫缶と呼ばれる「窯」で加熱と加圧を行う「ヴァルカナイズ製法(加硫製法)」、次にポリウレタンなどの素材を使用し型に流す「インジェクション製法」、そしてスニーカーと革靴の両方の技術を用いた「シナジークラフツ」の3種類の製法が代表的です。それぞれ異なった技術と工程が必要とされる製造方法ですが、長い歴史で培われた職人の手作業とゴムの知識が欠かせないことが共通点です。精密な調整ができる「手」と、ゴムという素材を活かすノウハウがあるからこそ、子ども靴から、ユース世代、高齢者向けの一般靴、看護などの場面で使えるワークシューズなど、幅広い年代と用途にあわせた靴の製造が可能になっているのです。さらに、国内のごく僅かな工場にしか存在しない必要設備もあり、このような機械を日常的に点検、整備する仕組みが徹底していることも、ムーンスターの美しい靴作りに反映されています。
■ 思想:オーダーメイドの「精品主義」を貫く、久留米クオリティ
ムーンスターでは、創業者・倉田雲平が掲げた「御誂向御好次第(おあつらえむきおこのみしだい」が意味する「一人ひとりのお客様に最適な靴をつくる」という精神のもと、製品開発が行われています。特にムーンスターの代表的な製法であるヴァルカナイズ製法には、現在でも職人の手仕事が不可欠のため、国内でもごく僅かな工場でしか生産することができません。一つの靴を生み出すために、長年蓄積された足型データと、代々継承されてきた職人の技術をもとに、徹底的で綿密な研究開発を行うのです。さらに、ムーンスターのMade in Kurumeシリーズは、ユース世代に愛される履物を日本のオリジナルで作る、という決意のもとに発足しました。ゴムの精錬や縫製に携わる職人から、工場で使用する靴型や機械にいたるまで、あらゆるものを社内でつくることができる職人集団として「妥協を許さないものづくり」というムーンスターの精神が、久留米クオリティを支えています。
参考文献
ムーンスター公式HP、久留米商人の栄光の歴史「デジタル風土記わが町久留米」、天然ゴムの歴史(成沢慎一著)、ゴムの歴史(日本ゴム協会編集委員会)
商品一覧
GYM CLASSIC ホワイト
トレーニングシューズを元に履き心地とシルエットを見直し、現代に再現
GYM CLASSIC ブラックモノ
トレーニングシューズを元に履き心地とシルエットを見直し、現代に再現
LOW BASKET ナチュラル
ヴァルカナイズ製法で作られる
親しみのあるベーシックなモデル
LOW BASKET K CAMO
ヴァルカナイズ製法でつくる
久留米絣を使用した”フルMade in Kurume”な一足
LOW BASKET K SLIPWARE
ヴァルカナイズ製法でつくる
実用性を追求したミニマムな一足
HI BASKET BROWN
ヴァルカナイズ製法でつくる
精巧で美しく、しなやかな履き心地
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1957年創業の有限会社友田商会は、しゃぼん玉の製造・販売を行う九州で唯一の会社です。創業者の友田直正さんは、戦後生活の糧を得るために奔走する中、夢中でしゃぼん…
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2012年に九州・ちくごのアンテナショップとして創業。福岡県南部の筑後地域を中心とした九州のものづくりを紹介する店舗としてスタートし、久留米絣のもんぺを集めた「…
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上野焼(あがのやき)とは1602年頃を起源とする福岡県福智町の陶器です。豊臣秀吉による「文禄・慶⻑の役」により招致され、加藤清正公に従って帰化した李朝陶工・尊楷…
UNAラボラトリーズ
株式会社UNA ラボラトリーズは2019年7月創業し、九州の文化を探求し、研究・出版・文化ツーリズム事業を通して、訪れる人と共に更なる魅力を生み出すトラベル・デ…
未来アロマ
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2009年に福岡県うきは市で若手農業家5人によって発足した、うきは百姓組。同年代で後継者という同じ立場の若い農家が集まり、それぞれが異なる作物を作っていることを…
たなか農園
福岡県大川市にある、たなか農園。代表の田中奈奈さんは長崎県島原市出身で、地元で小学校の講師として働いたのち、大川市のいちご農家でレモングラスやアスパラなども育て…
ズッペン
福岡県みやま市瀬高町は、国内のセロリ三大産地の一つです。氾濫の多かった矢部川が上流から土砂を運び、年月をかけて出来上がった瀬高の土は、セロリ栽培に適した土になり…
アリアケスイサン
アリアケスイサンは、福岡県大川市で3代にわたり海苔養殖業を営んでいます。アリアケスイサンが海苔の養殖を行う有明海は、九州4県にまたがる湾で、九州最大の河川である…
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株式会社やまひらは1890年に福岡県柳川市で創業し、主に有明海の海産物加工品の製造・卸・販売を行っています。女性の社会進出が困難な時代、初代平野キヨさんは柳川沖…
きじ車 宮本
きじ車は福岡県みやま市瀬高町にある清水寺周辺で作られている郷土玩具で、清水寺の参拝土産として親しまれています。歴史は古く806年頃(平安時代前期)清水寺の開祖で…
八女商工会議所
日本の農村や山間部は、大切な地域資源であり、私たちの「食」を支えている産業でもあります。高齢化・人口減少の影響で耕されなくなった田畑や人の手が入らなくなった森が…
ilo itoo
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株式会社ゼネラルアサヒは、印刷物、Web、映像、コンピューターグラフィックスと多彩なメディアを一貫してコーディネートし「分かりやすく、正しく、早く」を原点に企画…
両筑植物センター
1974年福岡県朝倉市で造園用の緑化樹の卸として創業し、現在ではオーストラリア植物、斑入り植物などの珍しい植物を生産販売しています。3代目の行徳繁盛さんは90年…
Bike is Life
Bike is Lifeは2019年から自社プロダクトの自転車、ウェアの販売や福岡県朝倉郡筑前町のクラブハウスを拠点にしたイベントの企画・運営を行っています。代…
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新三郎商店
福岡県糸島半島の西の突端にある製塩所「工房とったん」。2000年に新三郎商店株式会社の代表である平川秀一さんが、立体塩田を建て工房を構えます。平川さんが料理人の…
YAMAP
福岡県福岡市に拠点を置く株式会社ヤマップ。一般に普及しているスマートフォンのGPS機能を使い、電波の届かない山中でも地図中の自分の位置が確認できるアプリを作って…
トポスデザイン
2001年創業のトポスデザイン株式会社は、住宅や店舗の設計を中心にトータルな空間デザインを行っています。代表の東徹太郎さんは、大学卒業後東京や仙台の建築事務所で…