九州と地域文化【3】~「衣」=身にまとうもの・こと~
九州の「地域文化」を研究する前に
「九州ってどんなところなんだろう?」
この九州という地域に焦点を絞って、地域文化を考えて(研究して)みる前に「地域文化ってなんだろう?研究会」の新人研究員となった私(研究員U)が、九州のことで一般的にわかっていること、知っていることを記していこうと思います。
例えば「衣」。
身にまとうもの・ことの中に、九州の特徴はあるのでしょうか。
九州の織物・染物の代表「久留米絣」
出身は北海道、ながらく関東地域で暮らしてきて、九州に移住してきたばかりの私、研究員Uは、うなぎの寝床で働き始めるまで、「久留米絣」や「もんぺ」という言葉はもちろん、それ自体を身近なものと感じることはありませんでした。
染織物といえば、北海道ではよく見かけるのがアイヌの伝統織物「アットゥㇱ」とか、旭川市の染色作家・木内綾氏が生み出した主に羊毛を使う「優佳良織(ユーカラ織)」などが思いつきますが、どちらかというと道産の土産物のイメージが強く、普段の生活で気軽にさらりと身に着けたり、家の中にあるというものではありませんでした。
移住してきてからは、八女に暮らしているこの土地柄もあるのかもしれませんが、久留米絣の染織物を色んな所で日常使いしている様子を目にします。
夫が一番初めに気に入って買った帽子にも久留米絣の布が使われていたり、近所のおばあさんが何気なく着ていた割烹着の布地が久留米絣だったり、マスクに使われている布も久留米絣のものがあります。久留米絣を使ったもんぺも日々手に取り、実際着てみたりすると普段着にとてもしっくりくるものなんだと実感しています。
長く受け継がれてきたとても手間のかかる技法の染織物なのに、気軽に普段使いされ親しまれているのもこの地域ならではなのでしょうか?
染物の染め方には「先染め」と「後染め」がある
染物の種類は様々耳にしてきたことがありましたが、「先染め」と「後染め」という違いがあることも久留米絣が身近になってから知ったことです。
布地になる前の糸を「くくり糸」と呼ばれる糸で部分的にくくった後で、染色し、染め分けることで絣の柄をつくり出している技法であること。くくられた箇所は色が染まらず、くくられていない箇所は染色が施されるため、それを織り上げていくことで、久留米絣ならではの絣の模様が生まれているという手の込んだものであることに驚かされました。
私が今まで使ってきた布製品のほとんどは「後染め」なのでは?と思い返してみたり。
先染めする久留米絣にも使われる「藍染」。
藍の産地や藍染が広く伝わっている地域は日本全国、北から南までたくさんあります。今回の研究会の勉強を兼ねて藍染について調べてみたところ、北海道の伊達市が藍の生産地で、藍染を行っていることを知りました。藍染についてもまだまだ調べてみたいものです。
ゴム製造が盛んだった街から作られた靴
ムーンスターの靴が福岡県久留米市生まれだったことも、九州への移住後はじめて知りました。
関東ではセレクトショップなどに行かないとお目にかかれない靴だったので、こんなに身近なところで、それもとても丁寧に生産されていることに驚きました。
約150年前にゴム底の地下足袋の開発からはじまり、今のスニーカー製造がはじまったムーンスターをはじめ、他にもブリヂストンなどのゴム産業メーカーが集まっており、ゴム産業発祥の地が久留米ということも知りました。広い日本の中でなぜこの久留米という南の土地で、ゴム産業が盛んになっていったのかも気になるところです。
北海道の150年前に遡る歴史を考えてみると、開拓使が置かれ、人々が北海道を目指し移り住み始めて、土地の開拓がはじまった頃です。開拓していくために馬が重要な役割を担ってきた(田畑を開墾するときも、自動車のない時代は交通手段として珍重されていた)歴史があり、馬具を作る職人を多く排出してきた歴史もあるようで、その馬具職人たちを集めた日本唯一の馬具メーカーが今も素晴らしい手仕事を続けていることを、ふと思い出しました。
◯UNADIGTIONARY #3 地域に根ざしたゴム靴メーカー 前編 / ムーンスターから見えるNATIVESCAPE
こんな手がかりや考え方を参考にしていただき、九州地域ではどんなひとたちが、どんな手法で、どんなものを生み出して、身の回りの暮らしを作り整えて生きてきたのか、一緒に考えて(研究して)みませんか?
そしてみなさんが今暮らしている(もしくは、過去に暮らしていた)地域との違いを見出して、あらためてその土地の良さや独自性に触れていきませんか?