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【織元インタビュー #3】 インドで生まれた絣(ikat)の伝播。日本らしい、藍とくくりの久留米絣を残したい。/ 久留米絣 山藍 (2019. 5)

このコラムは、「第9回 もんぺ博覧会(2019年5月開催)」に付随した特集記事を転載しています。

世界とつながる絣=イカット。インドから世界へ。

福岡県南部の筑後地域で織られている「久留米絣(かすり)」は、約200年前の19世紀初頭に、少女・井上伝が織りはじめて広まったといわれる、伝統的工芸品です。

しかし、実は絣の技法そのものは、アジアや中南米など世界中で見られる技法で、英語でイカット(ikat)と呼ばれています。イカット(ikat)は、マレー語で「縛る」という意味があり、まさに糸を縛って染めてほどいて柄を作る、絣の本質をあらわしています。

絣=イカットの技法の発祥は、定かではありません。織物は植物の繊維からできていることが多いため、考古学的資料として残りにくい性質があるためですが、インドのアジャンタの石窟寺院に矢絣風の腰巻を着た人物が描かれていることなどから、7-8世紀頃にインドので発祥したといわれています。

その後、東南アジア全域に伝播し、10世紀頃には中東・イスラムルートからヨーロッパへと広がります。15-16世紀には、スペイン人によって中南米にもたらされ、いまでもメキシコやグアテマラなどで絣織物が織られています。「絣」という織物を紐解いていくと、これだけ世界へと広がっているのです。

沖縄から日本本土へやってきた絣。それぞれの土地に根付く。

では、日本にはいつ頃きたの?というと、まず最初に入ってきたのが、沖縄です。14-15世紀(江戸後期)にインドネシアのジャワ等から琉球へ伝わり、琉球王国に収める貢納布「琉球絣」として沖縄独自の絣織物が発達しました。いまでも沖縄独特の図案が守られ、手織り絹織物の琉球絣が脈々と織られ続けています。

そしていよいよ日本本土へ。18世紀、琉球(沖縄)を統治した薩摩などから、日本海航路でまずは山陰や越後に伝わり、麻や絹の上流階級向けの織物として織られます。その後、19世紀初頭には久留米・備後・伊予などに庶民用の綿織物として同時多発的に広まっていったとされています。

絣=イカットは、これだけ世界中で使われている技法ながら、織り出されるテキスタイルは色も柄も用途も、それぞれ全く異なります。大柄でカラフルなものから、小さな柄で繊細なものまで、実にさまざまです。これだけの多様性と土着性が生まれるのが、絣の面白さでもあるかもしれません。

久留米絣のアイデンティティとは。まずは「藍」。

久留米絣がその中で際立って持つアイデンティティとは何なのか。藍染・草木染めの手織りの久留米絣を専門につくる、「久留米絣 山藍」の4代目、山村省二(やまむら・しょうじ)さん(60歳)は、まずは何より「藍」という日本を代表する天然染料が大きな魅力だと語ります。

「タデ藍から蒅(すくも)を作って生み出される透明感のある藍色は、やはり日本独特です。そこに自分は緑や黄色などの草木染めを加えることで、独自性を出し、より藍を際立たせたいと思っています。」

山村さんは大学卒業後に1年半、京都の染織家のもとに修行へ行き、自然の素材だけを使った染めと織りを学びました。綿や絹の手織りはもちろんのこと、大工仕事からお米を竃(かまど)で炊くことまで自分たちでするような修行生活だったそうです。

今でも藍染めは、藍建てとよばれる染料の仕込みの工程で、アルカリ性の苛性ソーダを使わずに、灰の灰汁をとって麩(ふすま)で発酵させる伝統的な正藍染めを徹底して行っています。

修行から戻って家業に入り、藍染めだけではなく、植物の木や皮などから染める草木染めを取り入れ、茶・黄・緑などそれまでの久留米絣にはなかったような多色の作品を生み出しますが、周りからは「あげなこつばして(こんなことをして)」と苦言を呈されたこともあったそうです。

でも「流されてはダメ」と言い聞かせ、自分なりのこだわりを一貫して守ったからこそ、次々と産地の他の織元が廃業する中で生き残ってこれたのではないかと山村さんは話します。

日本独特の細やかな絣模様。次代まで続いていくために。

山村さんがもう一つ、久留米絣が持つ強みだと考えるのが、その緻密な模様です。世界的にみても日本の絣は、柄合わせが美しく繊細で、細やかさが表れているといえます。とはいえ、型染めのようなはっきりとした線になるわけではなく、緻密だけど冷たくない、柔らかさが絣の良さなのです。

「織り自体は平織りと呼ばれる、最もシンプルなものだけど、先染めの絣ではないと出せない雰囲気があると思うんです。いまや日本の絣の産地が減っている中、そこは大切にしないといけないところかなと。」

今回、まさにイカットの語源である「くくり」の工程を見せていただきました。久留米絣の産地では、分業制で機械くくりの職人さんも存在しますが、山藍では自分たちの工房で手作業でくくる「手くくり」も並行して行っています。

図案つくり、くくり、染め、そして織り。一連の工程を最初から最後まで、一人一人の職人が作り上げていける体制にしているそうです。そこにものづくりの喜びがあり、つらくても続けていけるやりがいがあるのではないかと山村さんは話します。

同時に、決して「手織り天然染め」の久留米絣だけが良いと思っているわけではないそうです。むしろ久留米絣の産地の最大の強みは、機械織り化学染料の絣から、究極の伝統技法の絣まで、これだけの多様性を保ちながら幅広く残っていることなのです。

久留米絣が次代まで残っていくためには、この多様性が必要です。それぞれの個性が際立ち、機械織りから手織りまで幅広くあることで、産地として強くなる。どっちかだけしか残らなかったら、他の産地と同じように衰退していってしまうと思います。」

まさにこの多様性は、今回のインタビューシリーズを通してひしひしと感じます。織元の個性と思いが絣にあらわれ、その幅広さがさまざまなニーズに対応できるベースを作り上げています。手織り藍染の絣はとても美しい反面、価格はどうしてもしてしまいますが、この産地の奥行きを作り出している大切な存在だと改めて感じました。渡邊

◎久留米絣 山藍
〒834-0105
福岡県八女郡広川町長延250-1
TEL: 0943-32-0150

Photo credit: Koichiro Fujimoto

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