萩ガラス工房

ガラス研究・製造/山口県萩市

山口県萩市にある萩ガラス工房は、地元笠山で採掘した石英玄武岩を原料としたガラス製品の製作を行なっています。萩では江戸時代末期に産業奨励を目的としたガラス製造が行なわれていましたが火事で製造所が消失し長い間途絶えていました。大阪でセラミック製造会社を営む藤田洪太郎さんは1992年(平成4年)に故郷である萩に工房を構え、古文書を紐解いて萩ガラスを復刻させました。日本のガラス作りの多くがガラス素材を購入して製作を行なうため産地ごとの特色がほとんど見られない中、地元産出の鉄分含有量が高い原石から得られる緑色のガラスや、カリガラスと呼ばれる硬質の丈夫なガラスなど産地の特色が表れています。また、国内でもここだけでしか作られていない内ひび貫入ガラスは、熱膨張率の緻密な計算と高い技術で手間暇かけて作られています。100年後200年後の人が見ても恥ずかしくないものづくりをしたいと日々挑戦をし続けています。

 

【うなDIGTIONARY #1】ガラスってなんだっけ?

■ 歴史:長州藩士であり科学者が創り出した、幻のガラス

1860年、長州藩(現在の山口県)の科学者であった中島治平が、萩で硝子製造所を作ったことから萩ガラスの歴史は始まります。萩ならではの水晶石を原料とした透明感と、江戸の切り子職人の技術をあわせた硝子は朝廷からも高い評価を受けていたそうです。当時の萩といえば、吉田松陰や高杉晋作といった明治維新の偉人を思い浮かべる人は少なくないでしょう。しかし、同じ長州藩士であり科学者であった中島も、産業の進行奨励として藩に建白書を提出、当時の最先端技術であった蒸気機関を駆使して長州に硝子産業を興し、天皇家や公家に献上するまでに質の向上させた時代の立役者でした。ところが萩ガラスは施設の焼失や、中島治平の病死、戊辰戦争といった激動の時代に重なり、わずか6年で消失してしまいます。その後、萩ガラスは再興されることなく長い間忘れられていましたが、彼の遺品や残した資料をもとに、1992年に萩ガラス工房代表の藤田洪太朗さんが当時の復刻品の制作を開始しました。

■ 土地性:笠山でしか採れない安山岩、火山がつくる翠色

萩ガラス工房では、地元「笠山」でのみ採掘される石英玄武岩(安山岩)の原石を精製してガラスを制作しています。笠山の安山岩に含まれる石英成分と、各種含有金属類により、上品な深みのある翠の輝きとなるのです。萩ガラス工房のある笠山は日本海に面した小さな半島で、約1万年前に噴気活動があったため、活火山として周辺の火山の集まりと合わせ「阿武火山群」と呼ばれています。現在は活動を休止していますが、周辺の地質には火山性地形が多く見られます。阿武火山群は「溶岩台地」という地形ですが、粘り気が比較的大きい安山岩やデイサイトが小さな溶岩台地を作っている例は、世界中で萩でしか知られていないそうです。この安山岩を粉砕し、ガラスの成分に調合、溶解(1350℃前後で始まる)、脱泡(1480〜1520℃を長時間保存する)、精製を経て、ガラス素地が完成、萩ガラス工房の原材料となるのです。

■ 素材:高温でしか加工できないからこそ、美しく丈夫なガラスができる

萩ガラス工房が使用する笠山の石英玄武岩には、カリウムが含有されていることが特徴であり、そのカリウムを活かしてカリガラスを作ります。ソーダ灰を加え、ソーダガラスにすると1200℃前後で加工することができますが、藤田さんはより丈夫なガラスを求めて1520℃という超高温度域で製作しています。数ではたった300℃の差ですが、ここまでの火力に耐えられる炉の製造は難しく、2倍のコストがかかるそうです。また、少しでも温度が下がると固まってしまうため、成形する時間が30秒と、高度な技術と温め直す手間が掛かります。しかし、このおかげで通常の5倍〜10倍の強度を得ることができ、国内最高レベルの品質を保っています。また、萩ガラスの緑色は原石である石英玄武岩の成分そのままですが、そこに光の三原則と同様、赤と青の色を調合することで透明のガラスが出来上がります。ガラスの色は、クロム、コバルト、金などの金属酸化物を加えることによって色を変えることができ、ガラスを融解する酸化・還元の条件によっても色がかわることがあるそうです。

■ 技術:原石の加工ができる技術で、経年変化が楽しめるガラスを作る

萩ガラス工房の特徴は、原石採掘から企画、製造まで全ての工程を行っていることです。原料を作ることはとても難易度が高く、日本の工房では安価なソーダガラス素地を購入して加工するのが一般的です。さらに萩ガラス工房では日本で唯一の技術である「内ひび貫入ガラス」を製造しています。これはハンガリーに古くから伝わる技術だそうですが、藤田さんはヨーロッパの出張中に偶然目にしてから急遽工場に訪問。製造理論を学び、日本で再現を試みましたが、現在の完成形に至るまで10年の月日を要したそうです。一般的な「ひびガラス」は表面に貫入(かんにゅう)と呼ばれる蜘蛛の巣状のひびが、冷却の際にガラス素地の熱膨張率や収縮率の違いによってできるものです。しかし、萩ガラス工房では文字通り内部に貫入を閉じ込めた、3層構造になっています。これによって、熱湯を注いでも割れる心配がなく、製造してからも約3年ほどかけて模様が変化していく、ひびの成長を楽しむことができます。

■ 思想:セラミックを知ったからこそのガラスの可能性 技術者としての貢献

歴史から忘れ去られていた幻のガラスを再興させたのは、「ガラスってそもそも」を考える萩ガラス工房の代表、藤田洪太朗さんでした。萩で生まれ育った藤田さんは、関西の大学を卒業後、セラミックスに関する会社に就職。40年以上ニューセラミックスに関わるサラリーマンをしていましたが、諸事情により萩へ帰郷しました。会社に勤めていた頃から故郷の先人、中島治平の調査なども独自に行い、故郷に戻ったら萩ガラスをやりたいと考えていたそうです。藤田さんは自分自身を職人ではなく「技術者」と称し、デザインには一切関わらず原材料や温度管理など科学的な側面に徹します。一般的なセラミックとは異なる製造法を用いるニューセラミックス開発で培ったノウハウと、陶磁器では当然の「地域性」が少ない日本のガラスに対し、さらなる可能性を見据えて職人の育成にも尽力しています。無機物でありながら成長する萩ガラスを、100年後、200年後の人がみて素晴らしいと言ってもらえたら、という藤田さんの想いは、中島治平から繋がるものなのかもしれません。
※あくまでもうなぎの寝床が解釈する、つくりてのものづくりへの思いや思想です。

参考文献

・萩ガラス工房公式HP
・一般社団法人日本硝子製品工業会
・萩市ジオパーク推進課「世界でもめずらしい火山地形が見られる活火山ー阿武火山群」

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