【新商品】 Farmers’ MONPE 福山 両面起毛デニム

デニム産地 × 起毛産地
ふっくら柔らかな秋冬デニム

篠原テキスタイルとの新作コラボMONPEが産地コラボMONPEに仲間入りしました!
秋冬もあたたかく穿くことができる、起毛デニム生地のMONPEです。

国内生産シェアの約80%を占めるデニム産地・福山で染色して織られたデニム生地に、起毛加工業の盛んなニット産地・和歌山で両面起毛を施しています。スタンダードなデニム生地と比べて、糸の絡みが緩やかな組織(7/1綾)で織られ、毛布などの起毛を手掛ける繊維産地ならではの特殊な起毛技術で加工されているため、起毛の毛足が長く、ふっくらとやわらかな風合いです。

新しい付加価値を持ったデニム生地開発に取り組む篠原テキスタイルならではの発想で、2つの産地の技術を組み合わせた生地ができました。

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Farmers’ MONPE 福山 両面起毛デニム インディゴ

サイズ:S / M / L
価格 :19,800円(税込)

引用:Wikimedia Commons

そもそも「デニム」ってなんだろう?

穿くほどに人のライフスタイルがそのまま現れ、味わいとなっていくデニム。他の衣類ではマイナスになり得る色落ちが、デニムでは歓迎されるのは、実は不思議な世界観かもしれません。

デニムのルーツは諸説ありますが、1850年代のアメリカで着用された炭鉱夫の労働着が始まりと言われています。アメリカの領土拡大政策(西部移民促進運動)のさなか、1848年にカリフォルニアの山中に金鉱が発見されたことを契機に、一攫千金を夢見て世界中から移民が殺到(ゴールドラッシュ)。重労働に耐えうる丈夫な作業着としてリーバイス社がテント用のキャンバス地を使ったパンツを発明し、後のジーンズの原型となりました。

その後も労働者の仕事着として開発が続き、1930年代からはハリウッド西部劇のカウボーイのイメージで定着。1950年代からは『理由なき反抗(主演 ジェームズ・ディーン)』などのハリウッド映画でジーンズが着用され、カウンターカルチャーのシンボルに。様々な文化的意味を与えられ、また変容しながら、流行を超えた日常着として浸透しています。

Photo by Koichiro Fujimoto

経年変化の秘密「ロープ染色」

なぜジーンズは「色落ち」するのか?その秘密は、デニムならではの特殊な染色「ロープ染色」にあります。文字通りロープ状に糸束を吊った状態で引っ張りながら染めると外側だけが染まり、糸の中心部が白く残ります。その糸の表面が使ううちに削れて芯が露出することで、明るく色が落ちて見えます。ただ単に、色が抜けやすいわけではないのです。

Photo by Koichiro Fujimoto

着物からデニムへ、模倣から独創へ

日本では戦後、闇市で米軍の払い下げ品として流通したことにはじまり、のちにアメリカの輸入ジーンズが大流行したことから、国内でのデニム産業が興ります。広島県と岡山県の県境に位置する備後地域*は、備後絣の産地であったため、生産技術を応用してデニムづくりができる下地がありました。

ジーンズはそもそもが作業着。使ってなんぼの「量産品」として効率的に生産されるのが主流でした。一方、日本のデニムの生地開発は、アメリカのヴィンテージデニムの復刻から始まります。色落ちの状態を人工的に作りだそうと研究を重ね、今日の国産デニムの姿が生まれました。戦後、アメリカは発展途上国での量産にシフトした一方、日本は本場のそれとは別の方向性で独自進化を遂げてきたと言えます。

*備後地域
広島県と岡山県の県境に位置する国内のデニム生産シェア8割を占める産地。備後絣や帆布をはじめとした綿織物、藍染の技術や足袋、学生服の縫製技術をもとに発展してきました。エリア内には100社を超えるデニム関連企業が存在し、紡績、染色、織布、縫製、加工業まで細分化され、分業制を中心に成り立っています。

ものづくりの現場について、詳しくはこちら↓
デニムの染め屋は未来が見える / 坂本デニム
デニムの常識を超えていく。世界を魅了する福山デニム / 篠原テキスタイル

デニムMONPEほかにもあります↑

MONPE 福山デニム デニムストレッチ (9oz / 12oz)

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