ヒトとリネン – 人類最古の繊維 – 《知れば驚きリネンの話 後編》

もしもリネンがなかったら、今の社会はないのかも!?

MONPEの型を通して日本・世界各地のテキスタイルを穿き比べて体感する「産地コラボMONPE」。今回はそのシリーズに、日本のリネン産業に長年携わる帝国繊維とコラボした「MONPE 近江リネン」が仲間入りします。

前編では、「そもそもリネンって何なのか?」をご紹介してきました。
亜麻という植物から生まれるリネンですが、遡れば歴史は古く、それから日本とも深く関わりのある繊維であることがわかりました。

後編では、ヒトとリネンのこれまでとこれからについてお話しします。

知れば、なるほど「リネン」の話 / 前編

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– 人類最古の繊維 –

リネンは人類史上最古の植物繊維です。ヒトとリネンの関係は数万年にわたるほど長く、深い間柄です。

野山の獣を狩り、植物を拾い集めるような、狩猟採集により暮らしていた人類ですが、紀元前8,000年頃、現在のイラク近郊に位置するチグリス川とユーフラテス川に挟まれた平原、メソポタミアにおいて、一つ所に定着し、畑を耕して作物を栽培する農耕生活が始まりました。この農耕生活を可能にした作物は「起源作物」と呼ばれ、8種類あったとされています。3種の穀類、4種の豆類、そして残る一つが繊維作物である亜麻(フラックス)でした。

人が土地に定着し、畑を耕し、住居を建て、集まって暮らせば、そこに社会が生まれ、文化が生まれ、文明となっていきます。リネンは人類の文化・文明の発祥において、大きな役割を果たした繊維素材なのです。

リネンはメソポアミアからエジプトに伝わると、さらに大きく発展を遂げました。そしてギリシャ、ローマを経て、やがてヨーロッパ全域に広まり、現在も多くの人に愛される繊維素材となりました。

*米国の科学誌「サイエンス」(2009年9月11日)によると、グルジア(ジョージア)の洞窟から黒や青緑に染まった約3万年前の亜麻先染糸が発見されたとの報告もあります。

 

国産リネンと日本の発展

1930年 帝国製麻本社ビル 日本橋
出典:Wikimedia Commons(2023年4月6日取得)

こうして海外で発展してきたリネンですが、日本の発展においても、非常に大きな役割を果たした時期があります。
明治維新後、急ピッチで近代化を目指す明治政府は、欧米の列強から最新の技術や文化をどん欲に取り入れていきました。亜麻の栽培とリネンの紡績も、この時期に日本にもたらされた技術の一つです(亜麻は江戸期元禄年間に薬用として日本に持ち込まれたこともありますが、定着しませんでした)。

近代国家となるために、日本国内で繊維資源を自給自足することの重要性を見抜いた安田善次郎氏*は、リネンという繊維素材の有用性と国内栽培の適性に着目し、リネン産業を国家規模の事業として育てるために活動します。安田氏の尽力により、いくつかのリネン会社を一つに結集して、1907(明治40)年に帝国製麻(帝国繊維の前身)が発足しました。

*安田善次郎
明治期の実業家。帝国繊維の創設者。
現在のみずほフィナンシャルグループ、損害損保ジャパン、明治安田生命保険なども設立。

 

リネンはどこで使われたの?

出典:帝国製麻株式会社三十年史(TEIKOKU SEN-I

リネンは伸びずに強靭という性質から、軍服や帆船の帆、帆布(弾幕)などの軍事的な用途、消防ホースや漁網など、耐久性を要する様々な場面で活躍してきました。
今で言うポリエステルのような高機能繊維として使用されていたのだと思います。

 

亜麻の一大産地だった、北海道

出典:帝国製麻株式会社三十年史(TEIKOKU SEN-I

原料の亜麻(フラックス)の栽培は、北海道全域で行われていました。
日本でのリネン生産がピークに達したのは1944(昭和19)年です。この年のフラックス作付け面積は約40,000ha。これは現在のヨーロッパ全体の作付け面積の約1/3。生産量でみると約60,000tで、現在のヨーロッパの約1/2に相当します。

そのフラックスから、13,000tのリネン糸が生産されました。令和3年度の日本のリネン糸輸入量は約800tで、日本に輸入されているリネン糸の約16倍の量のリネン糸が国内で生産されていたことになります。

当時の日本のリネン産業の規模は全世界から見てもかなり大きかったことが分かります。

 

日本のリネンのこれまでとこれからをつなぐ
「NIPPON LINEN」

提供:帝国繊維株式会社(TEIKOKU SEN-I

明治期から日本という国の発展を支えてきたリネン産業ですが、その後のポリエステルなどの化学繊維の普及に伴い、今の日本では繊維用の亜麻の耕作はほとんどなく、潤紡績(ウェットスピニング)と呼ばれるリネンならではの紡績設備は残っていません。

帝国繊維は、創業当初から続くリネンというDNAを現代・未来に伝えるために、日本に残るリネンの機屋さんで生地を織るテキスタイルブランド「NIPPON LINEN」を立ち上げます。

製織を担っている会社の一つに、滋賀県湖東産地で昭和31年創業の藤居織物工場があります。
琵琶湖の近くに位置する湖東産地は、古くから麻(苧麻、大麻など)の産地として知られています。麻織物は乾燥した状態だと織ることが難しいとされますが、間近に琵琶湖があることで大気に水分をたっぷり含んでおり、麻の織物づくりに適した場所だったことから産地として発達しました。

硬く、伸縮性がなく、長いケバがあり、形状も不規則なリネン糸を織るためには、他の素材を織るのとはまた別のノウハウが必要なようです。
藤居織物工場は、通年で安定して織物づくりができるように工場内の湿度や温度を適切にコントロールしたり、織る糸によって機械を細かく調節するなど、長年リネン織物を手がけてきた技術を活かしてものづくりをされています。

 

まとめ

今回は、新しく仲間入りしたMONPE 近江リネンから、色々なことを見てきました。

そもそも麻とは何なのか?から始まり、人間社会が生まれる頃からリネンは関わりのあること、はたまたその長い流れは日本にも及び、わたしたちの今ある社会の根底にもリネンが関わってきたことがわかりました。もしもリネンがなかったら、、、、今見ている社会とは全く別な姿だったのかも知れません。

何となくわかった気がしたり、何となく関係なく思うことでも、辿っていくと身近な物事に繋がったりすることがおもしろいなぁと思います。

同じ織物、異なる話。同じ型、異なる風合い。
MONPEを通して様々なテキスタイルを体感し、比べて楽しんでいただけたらと思います。

荻野

 

参考文献

・TEIKOKU SEN-I

・日本麻紡績協会

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