紙のあるネイティブスケープ【1】 「和紙」はどこでつくられる?
「地域文化って何だろう?研究会」4回目となる企画展「紙のあるネイティブスケープ展」がはじまりました。
「紙」ときいて何を思い浮かべますか?トイレットペーパーやお札、印刷紙やダンボール、うちわや障子紙など、薄い紙、厚い紙、破れにくい紙、溶ける紙など実に多くの種類の紙があります。これら無数にある紙の種類を研究するにあたり、今回は、日本で古くからつくられる「和紙」について調査してみました。
■ 薄く、強く、美しい。日本人の工夫から生まれた和紙。
和紙は”日本の紙”を意味し、日本で生まれた日本のオリジナルの紙です。世界の手づくりの紙のなかで、最も薄く、強く、美しい紙であるといわれています。さらに、保存性・耐久性にも優れているため、紙としての寿命が長いのも特徴で、8世紀ごろの和紙が今でも奈良に保存されているそうです。
日本で「和紙」とよばれる紙が生まれたのは、7世紀ごろと言われています。紙づくりの技術は中国で紀元前2世紀に発明されました。その技術は朝鮮半島を経由して日本に伝わりましたが、日本へ伝わってから日本独自の改良が加えられた結果、日本オリジナルの「和紙」が誕生しました。
まず、原料となる植物が変わりました。中国では麻を原料とした紙づくりでしたが、麻の繊維は紙づくりの原料としては長すぎたことや、麻からできた紙はきめが粗く筆では書きにくかったことから、平安時代中期ごろには麻の紙づくりは途絶え、代わりに身近に自生する植物で紙づくりに適した繊維をもつ楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)が使われるようになりました。
次に、日本人は紙のつくり方も改良しました。手づくりの紙は、大きな水槽(漉き舟)の中にバラバラにした植物の繊維を水に溶かした紙料液を入れ、その液を四角形の枠型(漉桁:すけた)で繊維を絡めるように平らにすくい、枠から外して乾燥させてつくられます。
中国から伝わった方法では、繊維と水を原料とし、紙料を1回だけすくいあげました。日本では、繊維と水にトロロアオイなどの植物から抽出した粘剤「ネリ」を加え、何回もすくいあげて紙をつくる方法をあみだしました。ネリを入れて水の粘度を高めることで、繊維が浮遊し、紙料液を何度も上下左右に十分に動かすことができるようになったのです。
何度も漉桁を動かし、紙料液を流すことで、繊維同士をよく絡み合わせることができるようになり、紙の層をつくることで、薄い紙も丈夫につくることができるようになりました。
■ 和紙づくりの土地に自生する植物と「川」の存在
日本には現在も全国に和紙の産地があり、越前和紙、土佐和紙などの地名をとって〇〇和紙とよばれます。今回の企画展で紹介する3つの産地の和紙(福岡の八女和紙、佐賀の名尾和紙、福井の越前和紙)が、どのような土地性でつくられ、どのように発展したのか、それぞれ見てみましょう。
和紙でできた丸い紙箱「harukami」(やなせ和紙 / 福井県・越前市)
□ 越前和紙
神社:岡太神社・大瀧神社
越前和紙は、福井県越前市の五箇地域でつくられ、明治維新後の初めてのお札「太政官札」でつかわれたり、ピカソが愛用したほか、現在でもルーブル美術館の修復用紙にも使われています。田畑が少ない山の谷間にある越前市大滝町を流れる岡太川に、約1500年前に紙の神様が表われ村人に紙漉きの技術を教えたのがはじまりと言われており、現在も岡太神社・大瀧神社に紙の神様がまつられています。
奈良時代から写経用紙や帳簿紙などの需要に応えて紙づくりが発展し、江戸時代には上品で麗しい雁皮紙の「鳥の子」や「奉書」や、「透かし」や水玉模様の「落水」などの様々な技法が生まれました。
現在も日本三大和紙産地の一つであり、三椏、雁皮、楮などのいろいろな原料や技法を組み合わせて様々な種類の紙をつくっています。また、大判紙づくりが発達しており、日本のふすま紙の産地として知られています。現在も約50件の工房・会社が伝統の手漉きや機械漉きで和紙がつくっており、また、現代社会のニーズに答えるべく、様々な加工技術を用いた多種多様な種類の和紙づくりに挑戦し、世界へ”WASHI”を発信しています。
山鹿灯籠の技術でつくるインテリアモビール「TouRou」(山鹿灯篭振興会 / 熊本県・山鹿市)
□ 八女和紙
山:三国山
川:矢部川
八女和紙は、福岡県南部に流れる矢部川周辺の筑後市と八女市でつくられ、九州の紙づくりはここから始まりました。八女福島提灯や、熊本の山鹿灯篭祭り、棟方志功の版画「東海道五十三次」などに使われています。
紙づくりの技術は、約400年前に越前の僧が筑後溝口村(現在の筑後市)に伝え広められたといわれてます。矢部川の水が紙づくりに適していること、原料となる楮が自生し豊富にあることから和紙づくりが発展し、藩からの手厚い保護を受け、ここから九州各地へ和紙づくりが広まっていきました。
明治時代には約2,300戸が紙づくりを行い、ふすまや障子紙などの生活の中で使う紙を中心につくられていましたが、現在手漉き和紙をつくる工房は6件残るのみとなり、掛軸などの表具や提灯に使われています。
□ 名尾和紙
山:背振山
川:名尾川
名尾和紙は、佐賀県名尾地区の名尾川周辺でつくられており、博多祇園山笠の夜道を照らす弓張提灯や、佐賀のお祭り「唐津くんち」などで使われています。
山に囲まれ耕地面積が少ない名尾地域は、貧しい地域だったそうです。打開策として、名尾村の庄屋が紙づくりの技術を習いに筑後溝口村へ行き、名尾に持ち帰り紙づくりがはじまりました。佐賀県背振山系に発する清流があり、原料となる梶(かじ)が多く自生していたため、村をあげて紙づくりに取り組みました。楮の原木である梶からつくられる和紙は、楮より繊維が長く繊維同士が絡み合うため、薄手でも丈夫な紙ができるため、藩政時代には藩札の紙などにも使われました。
現在は「名尾手すき和紙」の谷口さんが、原料の梶の栽培から、紙づくりまでを行っています。
今回みた3つの産地の土地性を見ていくと、産地の近くには必ず「川」の存在があること、そして、その土地に自生する植物を用いて紙づくりがされていたという気づきがありました。山と川、植物と水、その土地にあるものを利用し、加工してつくられた和紙。他の和紙産地にも、土地ごとの山の植物や、川に流れる水の特徴などによって和紙の手触りや色も異なるのかもしれません。
今回の企画展では、紙になる前の原料としての植物の楮や梶、その原料からできた和紙、そして、その和紙が形を変えてできる商品を展示・販売します。土地の背景を考えながら商品をみてみると、商品からその土地の風景が見えてくるかもしれません。ぜひ、植物の繊維を触って、紙を触って和紙を楽しんでみてください!
研究員 K
– 参考文献 –