【地域情報】筑後から近いんです!熊本県山鹿市。「山鹿灯籠祭り」を初めて見に行った話。祭りと人々。
【地域情報】筑後から近いんです!熊本県山鹿市。「山鹿灯籠祭り」を初めて見に行った話。祭りと人々。
こんにちは、うなぎの寝床の鬼木です。早いもので9月も1週間が過ぎました。業務に追われ気がついたら夏が終わってしまっている感じですが、「はて。今年の夏は何をやったっけ?」と振り返ってみると、時間の合間を縫って宮崎のわら細工たくぼさんを訪問したのと(その時の記事はこちら→https://bit.ly/2kANknt)、熊本の山鹿市の「山鹿灯籠祭り」を初めて見に行ったのでした。その時のことは8月に配信したメルマガで簡単にはご紹介したのですが、もう少しだけ詳しく書いてみたいと思います。(メルマガの登録はこちらです→https://bit.ly/2kANzPp)
大宮神社での奉納神事の様子。
山鹿市は八女市から車で50分ほどで行けます。国道3号線をひたすらまっすぐなので道もわかりやすいです。有名なのは灯籠祭りと温泉。子供の頃は親世代やおじいちゃんおばあちゃん世代が温泉目当てに遊びに行くところ、というイメージでした。歴史的なところでは、「豊前街道」が整備され、宿場町として発展しました。豊前街道は現在の熊本市を起点に、植木、山鹿、南関を経て北九州の小倉を繋ぎました。温泉はそれより古くからあり、参勤交代のお殿様も温泉に浸かって旅の疲れを癒していたのかもしれません。
さて、毎年8月に開かれる「山鹿灯籠祭り」ですが、なんと1900年の歴史を持ち、地元の方々によって脈々と受け継がれている奉納神事です。
現代では女性達による千人灯籠踊りがよく知られ、同県出身画家によるポスターが貼られ、灯籠祭り=頭に灯籠を乗っけた女の人のお祭りと言ってもいいくらいのメインイベントにもなっています。現地で見るとかなり圧巻だと思います。(できれば有料の観覧席で見ることをおすすめします。)
しかし千人灯籠踊りが始まったのは実は昭和30年ごろ。意外と新しいイベントなのです。祭りのクライマックスは千人踊りが終了したあとに始まります。
夜10時、三味線を持った女性数人を先頭に、男衆が建物や人形をかたどった灯籠を担いで大宮神社の鳥居をくぐり、上がり灯籠と呼ばれる奉納神事が始まります。上がり灯籠神事は600年ほど歴史があります。灯籠祭りは決して女性が踊るだけのお祭りではないのです。(もちろんこちらも奉納のための踊りですが)
町名と灯籠師の名が読み上げられお祓いを受けると、「ハーイとうろう、ハーイとうろう」とかけ声を上げながら境内をまわります。正確な数字は忘れてしまいましたが、その数10基以上ありました。
山鹿灯籠は、和紙と糊だけで作られた大変精巧で繊細な和紙工芸品です。原型は、室町時代ごろに確立されたようです。女性たちが頭に乗せる「金灯籠」以外に、神社仏閣、お城、御所車などさまざまなものがあります。
かつて山鹿やその周辺では和紙の生産が盛んに行なわれていました。また、市内を流れる菊池川は物流の大切な拠点でもありました。江戸時代には旦那衆と呼ばれた実業家たちが和紙工芸の技を競い合ったそうです。また、藩主へもてなすものとして山鹿灯籠が用いられました。山鹿という町の隆盛、旦那衆の栄華、そこで技術を磨いていった山鹿の灯籠師たち。そして年に一度の祭りを楽しみにしていたであろう人々の顔が想像できます。
昼間の大宮神社
さて、無事奉納が終わると氏子達は町内ごとに並べられた灯籠のそばで直会(なおらい)とよばれる祝宴を開いて奉納を祝います。
日本各地ではさまざまな祭りが開かれます。古くから続く祭りにはそこに関わる人々、その地域に住む人々のさまざまな思いがあります。現代のように娯楽がほとんどない時代、厳かな神事でありながらも、きらびやかな踊りや音楽、灯籠や神輿といったものは、人々を魅了しほんのひと時だけ日常を忘れさせ癒しと活力を与えてくれていたのではないでしょうか。
これからも、伝統にのっとりつつも、時代とともに新しい要素も取り入れながらも、脈々と受け継がれていくことでしょう。鬼木
熊本県山鹿市にある芝居小屋八千代座をかたどった灯籠。八千代座は1910年に建設され、1988年に国の重要文化財に指定された。八千代座もまた財をなした旦那衆によって建てられたものです。