【地域のこと/観光協会】宗教行事が担っていた、地域の大切な役割。必要なのは「懐古」ではなく「更新」だ。/ Yame Rediscovery vol.32
【地域のこと/観光協会】宗教行事が担っていた、地域の大切な役割。必要なのは「懐古」ではなく「更新」だ。/ Yame Rediscovery vol.32
ここ八女福島には、多くの寺社が存在します。どれも古い歴史を持つものばかりで、足を踏み入れるとなんだか背筋がシャキッとするようです。実は毎月のように福島では、寺社にまつわる行事が行われているのをご存知でしたか?うなぎの寝床のメンバーも、地域のお祭りごとやしめ縄作りには、みんなで参加するようにしています。
毎月観光案内士の方々にお話を伺っているのですが、幼少の頃には寺社の境内でよく遊んでいたとか、お祭りにいったという思い出を大切にしている方が多いように感じます。寺社は昔、「人々が集まる場」として捉えられていたのでしょう。
観光案内士の平田さんもそんな思い出を持つおひとり。戦後間もない幼少の頃よく、当時住んでいた八幡地区から福島まで、行事ごとに歩いて通ったのだとか。今回は平田さんと一緒に「無量寿院」を訪れ、寺社を中心とした地域の伝統行事についてお話を伺いました。
鬼も休めば人も休む。かつては縁日で盛り上がったという「無量寿院」
「ここは桜がきれいとよ〜。」平田さんが、春には桜のアーチができるという参道を歩きながらそう教えてくれました。旧寺崎邸からうなぎの寝床にむかう途中に、その「無量寿院(むりょうじゅいん)」があります。
奈良時代の僧・行基(ぎょうき)によって開基された寺院で、今から400年以上もまえ、慶長6年(1601)に筑後国の領主・田中吉政が福島城改築のときに、酒井田地区から福島地区に移築されたものです。
境内にある天然記念物のケヤキは、なんと樹齢400年以上。ずっしりとそびえ立つ大樹はさすが存在感があります。春には桜の名所としても有名ですが、冬の曇り空のなか歩く境内もまたひんやり静かで、なかなかにオツなもの。
本堂の右手には、閻魔様をお祀りする「閻魔堂(えんまどう)」があります。毎年8月16日には「閻魔大王祭り」が行われていて、木彫りの閻魔様を拝むことができます。
「小さいころ、8月16日はおばあちゃんが閻魔さんに手を引いてってくれて。生き物を殺したらいかんとか、嘘をついたらいかんとか、閻魔さんから舌を抜かれるとか。よぉ言われてました。」と平田さん。
当時の福島は八女の中心地であり、平田さんいわく「それはもう大都会」。お盆のお祭りともなれば夜店にかなり多くの人が集まり、とても賑わっていたそうですよ。
おにぎり作ってお宮に籠る。八女に存在した地域の伝統行事「お籠り」
寺社主体で執りおこなわれる行事もあれば、特に田舎の方など集落の規模が小さな地域では、民衆によってこのような行事は取り仕切られる地域行事もあります。今でいう「町内会」や「子供会」が行事の運営や、寺社の保護などの活動を担ってきました。
「当時は子供がまだ多かったですからね、子供たちがおみこしを担いだりする子供祭りというのもあってね。今なんかより行事ごとや祭りは多かったんです。特に田舎の方では、春と秋に行う”おこもり”っていうのがあったんですよ。」
平田さんの地域では子供たちがお籠りをすると決まっていて、家々を周ってお米やお漬物、お賽銭などをもらい、年長さんのお家でお米を炊いておにぎりを作り、お宮に籠っていたそう。
「お籠り(おこもり)」とは元々、神祭りや神事行事において、神事に奉仕する人々が神社やお堂にこもり心身を清らかに保つため、俗世との関係を断ち生活を送る宗教的な行為のこと。
それがのちに信仰的な意味が薄れて、人々が一堂に会し、楽しく食事をすることを「お籠り」と呼ぶようになったと言われています。
「今考えるとどうってこと無いんだけど、毎年楽しみでしょうがなくって。でもこうやって、小さい頃から一緒に何かをする機会があったから、大人になっても同世代の結びつきが強かったような気がします。」
信仰とはかけ離れた伝統行事は、その機能を「娯楽」や「共同体の結集」へと変換し、地域に受け継がれていったものでした。
伝統を守るために必要なのは「懐古」ではなく「更新」だ。
そんな伝統行事ですが近頃、衰退・消失してしまったものも少なくはありません。お籠りもそうした伝統行事の1つです。若い世代がいなくなり、なんとか続けようと大人がおにぎりを握ったりしたそうですが、ついには人手がいなくなり、辞めざるを得なかったそう。
「今はお宮を守るのさえ大変で…。でもね、後ろばっか向いとったっちゃいかんとですよね。価値観っちゅうのをどう見出していくかっていうのが大事なんでしょうね。だからね、若い人が今福島で、古いものの良さを見出して新しいことを始めようとしていることが楽しみなんです。」と平田さん。
伝統を守るために必要なのは「懐古」ではなく「更新」であって、そのために何を残し何を受け継ぐべきで、何を変えるべきなのか、そう考えることが私たち若い世代に求められていると改めて再認識したのでした。原(二)