【地域のこと/観光協会】毎年壊しては立て直す、燈篭人形の屋台。地域における祭りの役割とは。Yame Rediscovery vol.23
【地域のこと/観光協会】毎年壊しては立て直す、燈篭人形の屋台。地域における祭りの役割とは。Yame Rediscovery vol.23
「祭り」というのは、人間社会においては、不思議な現象です。世界中、様々な地域・民族独特の祭りが存在し、古代から現代まで、原始的なものから商業的なものまで、変容しながらも残り続けています。
しかし、貴重な食料をたくさん用意し、踊りや道具など準備に時間をかけて行う祭りは、大きな犠牲が必要なものでもあります。資源が限られていた時代であれば、ことさらに大ごとです。それなのに、人間はなぜ祭りをするのでしょうか?
もちろん一言ではいえるものではないですが、もともとは自然や神など大いなる「何か」への感謝と畏怖があったから。そしてその「何か」を共有する人間たちの集団の結束を高め、共同体を強くする目的があったから。
「地域文化」というのは、一言で定義するのがとても難しい概念ですが、こうした人間の集団が共有する世界観・宗教・歴史・慣習などが複雑に混ざり合って、あちらとこちらという境界線をなすことで形成されているものなんだろうと思います。
祭りというのは、そういう意味では、共同体としての地域文化が体現される場所でもあるのです。
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八女の祭り「あかりとちゃっぽんぽん」のメインイベントである「燈篭人形」には、そういう共同体としてのつながりを強める機能としての痕跡が数多く残されています。
「燈篭人形」とは、毎年秋分の日を含めた3日間にわたり、福島八幡宮の境内に建てられる屋台で上演されるからくり人形芝居で、放生会の奉納行事としてはじまり、270年もの間受け継がれてきた地域の伝統芸能です。
40名ほどの燈篭人形保存会のメンバーで、人形を操る人形方、唄や演奏を行う囃子方、情景を表現する背景を切り替える裏方などを分担し、3週間ほど前から練習を重ねます。
一般的な人形劇は下から操作するのみ(下遣い)に対し、八女福島の燈籠人形はそれに加え横からも操作をする(横遣い)という珍しい構造になっています。全国でもこうしたからくり人形の地域伝統芸能は非常に珍しく、国指定重要無形民俗文化財にも指定されています。
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しかし、燈籠人形保存会の会長を務める牛島和良さんと、八女市役所文化振興課の諸富さんにお話を聞いてみると、時代の移り変わりの中で形を変えてこざるを得なかった「燈篭人形」の姿も見えてきました。
もともとは福島八幡宮の氏子町区の人たちが持ち回りで、大きな屋台の組み上げから人形公演まで、担っていました。区ごとに自分たちの演目を持っており、演目のアレンジや人形の操作の技術を競いあっていました。
また、燈籠人形のために、若い人が仕事を休んで戻ってきたり、各家庭に親戚やお客様が来たりと、博多の山笠を観に人が集まるように、一年のなかで八女に人が集まる目的として機能していました。
しかし人口減少が進み、担い手となる若い人がどんどん減っていく中で、かつて形態を保つことは難しくなってしまいました。町区ごとの持ち回り制はなくなり、かわりに「燈篭人形保存会」が立ち上げられ、中心メンバーが毎年人を募集しながら、ゆるやかに継続していく形となっています。
本来は地域の人たちがもっとたくさん関わってほしい、と語る牛島会長。それでも、保存会という形で続けていくことはこの貴重な八女の町の象徴をなくしてしまっていはいけない、という危機感があるからだと話してくださいました。
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燈篭人形の舞台である「屋台」は、毎年建てては解体されます。そのため、何年も繰り返し組み立てられるように釘を使わずに作られています。
木工・漆・和紙・提灯など、八女の仏壇と提灯の技術が結集してできていて、これも地域のものづくり文化や技術を発展させ、継続させてきた一つの仕組みであるともいえるのではないでしょうか。
一度建ててしまって、そのままにしておいてもいいのでは?と思ってしまいますが、作って壊して、また作る、その循環そのものに意味があるということではないかと感じます。破壊と再生は、文化の本質でもあり、地域を成す人と人のつながりそのものでもあるからです。
今年は改めてこの「燈篭人形」があかりとちゃっぽんぽんのお祭りの中心に据えられるということで、ぜひお祭りに来られるみなさんには、公演に足を運んでいただきたいと思います。
270年の間、この八女福島の人たちが紡いできた「目に見えない何か」がふっと感じらる時間になるはずです。渡邊・森