【考えたこと】感覚的であること。

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実家の周りを少し散歩して
感覚を取り戻す。

最近は、あまりよくないことかもしれないけど忙しい側面も少しあります。「忙しい」という字は心を亡くすと書きます。前に友人と「忙しい」はダメだけど「大変」はOKという話しをしました。大変はあくまでも大きく変わるために行なっている行為であって、忙しいは心を亡くすほど忙殺されているという状態だと思っています。ここ半年は、いろんなことにチャレンジをしています。それは僕の中でのチャレンジでもあり、仕事においてのチャレンジでもあります。それは、何かを大きく変えるためのチャレンジだと思っているのですが、その大きな何かを掴もうとすると少し忙殺されている自分に気づきます。

やはり、人間は感覚的であることが非常に重要であると思っていて、それを忘れた時には動物としておかしなことがおこるんではないかなと思っています。今読んでいる本で福岡伸一さんの動的平衡という言葉が出てきましたが、全てはつながっていて、感覚的になれなかった部分は、それに合わせてそれだけのひずみがどこかにしわ寄せがくる。全体感として芯のような物をぶらさずに前へ進んでいくことが重要だと思います。

さて、よくわからない話になりましたが、うなぎの寝床も8人に人が増え、いろんなチャレンジをしています。基本は「地域資源をどう捉えて、伝え直すか。」という一点が軸としてあり、それを解釈して行動する。というところが大きなポイントであり動かしてはいけないミッションです。これは、誰に与えられたものでもなく、なんとなく全体感としてこういう機能が町にいるんじゃないか?という仮説のもとにたてたミッションです。

どうあるべきかを考え
1つ1つ解決していく。

よく「地域のためにどういうことをすれば?」とか「情熱がすごいですね?」とか言われることが多いのですが、そういうものは意外に僕はまったくなくて、この大枠の「地域はどうあるべきか?」という漠然とした課題に対しての自分達なりの答えのようなものを積み重ねていくというのがとても重要で、「最終的にはどうなりたいの?」と聞かれることもあるのですが、正直わかりません。

例えば「久留米絣はどうあるべきか?」という僕らの1つの役割と答えのようなものが「MONPE」であり、それは短期的にこうやった方がいいとか、こういう課題が見えてきた、こういう人達に伝えていくためにはどうするのか?生産体制などの問題はどう修正できるのか?など細かな課題は無数に見えてきて、それを1つ1つクリアしていくしかありません。僕はあんまり器用な方ではないので、失敗したりいろんな方に迷惑をかけながら(申し訳ない)、少しずつ前へ進んでいくしかないと思っています。最近は、こういう考えたことをあまり書かないようにしていたのですが(正確に言うと、あまり書く気になれなかった)、なんとなく書いてみようかなという気になりました。

やはり、人間というものは物理的な物に囲まれていますが、ほとんどは心理的な状況によって物なども見ていて、今、いろんな人と関わりながら仕事をしていますが、物の情報だけではなく、やはり人としてどういうスタンスをとっているのか、その時どういうことを考えているのかも一応情報として伝えていかないといけないのかなと感じたところでした。ということで、ちょこちょこ考えたことを書いていこうと思います。写真は実家に帰った時に撮ったものです。子供の時すごした土地はやはり落ち着くものです。ではでは。白水

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