【旅の記録・考えたこと】日本の絣とインドの絣。
11月12日〜15日まで、大塚製薬キミハツプロジェクトでインドの展示会に出展してきました。
出展はCOOL JAPAN LOUNGEというブースで、パナソニックさんやTOTOさんのような大手から、ゲームやアプリをやってるような中規模の会社から、僕らみたいな何人かでやってるすごく小さいところまで10数社が出展していました。僕らの目的は、まだ手仕事が幅広く残っているインドという土地で久留米絣、日本の絣がどういう印象を受けるのか?そして、インドにはどのような布に携わる会社があるのか?どういう布に対する文化があるのかを得に行きました。
インド初日。ひたすら移動移動移動。
初日は空港でair indiaが欠航になり6時間ほど遅れてインドに到着するというハプニングに見舞われたものの、無事現地時間、夜11時ころに到着し空港を出るとたくさんのタクシーや業者がまだ元気ビンビンに待っていて客引きをしていました。空気は妙に埃っぽくて全体が見た目で分かるくらいかすれています。地面にはゴミがあちこちに落ちているし「ああ、久しぶりアジアに来た。」そういう感覚になりました。大学のころ東南アジアを旅行したときに、今から発展していこうとする国の勢いのようなものと、適当さを感じ衝撃と刺激を受けたことを記憶しています。それと同じ感覚が再びわき起こりました。
チャーターバスが用意されており、僕らはそのバスに乗り込み4,50分かけてホテルへと向かいました。プープープーとクラクションが忙しなくなるなか、車線なんて関係ねぇ。3車線に4台くらい走る道をビューンと走ります。インドと日本の時差は3時間程度。そのころ日本では3時〜4時になろうとしている時間帯。10時間のフライトの疲れもあって、ホテルについたらシャワーを浴びてすぐに寝ました。
インド2日目。展示会と日本大使館での交流会。
朝会場にむかうまでに少し時間があったので、一緒に来ている富山の能作さんのメンバーとインドの町を2時間ほど回りました。僕らが日本人だと分かると「どこ行くの?あそこに行った方がいいよ!」と客引きが必ずやってきます。とある布屋とか雑貨がたくさん売っているお店に入って、布を見ました。刺繍やブロックプリントの生地や、ハンドプリントの生地。様々な生地が並べてありました。僕はブロックプリントの生地を購入。なかなか味がある生地です。
かなり大きいです。
ブロックプリント。
その後デリーの中心街をブラブラと散歩していてると、いくつかのマーケットが立ち始めていました。売っていたのはジーパンとかシャツとか日用品が多かったです。ジーパンが値札で400ルピー(800円)くらいとついていたので、そこからディスカウントする市なのか、市民市なのかはわかりませんでしたが、そのくらいが相場なのかもしれません。2日目の通訳の人に「その着ているシャツはいくらですか?」と聞くと400ルピーと言っていたので、地域の人の相場はそのくらいなのでしょう。インドは雨期があるのかどうかはわかりませんが、たくさんの市が立っていました。雨が少ない地域はこうやって外に市が立てれて活気があって楽しいなーと感じました。
市の中で商品に関しては、取り立てていいと思うものはなかったのですが、パラソルがなかなかおもしろかったです。丁度設営時期に通りがかったこともあり、パラソルを組み立ててて、古い布を8角形に継ぎ合わせて、骨組みを合わせてパコッと開くというもの。なんかパラソルって普段使うものではないけど、骨組みだけあったら、いろんな柄つくれるなーと感じました。
布を縫い合わせてまーす。
ボロボロの骨組みをあわせまーす。
ほーら簡単できあがりでーす。
その後、展示会場へ向かい設営を終え、本日のメインイベントであるインドにある日本大使館でインドの企業とマッチング交流会を行うという行事です。インド大使館では写真等がNGで、どこの業者とやりとりしたかも、まだ何も決まってないので公開できないのですが、かなり中身のある交流会となりました。インドの企画側が僕らの活動をしっかり調査してくれていて、インドの織物・布・服まわりをやってる会社を2社紹介してくれました。絞り染め、かすり、型染め、刺繍などの技法から、縫製、デザインなんでもできる会社でした。日本とも取引があると僕もしってる手仕事としては有名なブランドを名前としてあげられました。日本の絣も結構面白がってくれて、いろんな情報交換をしました。
もともと、久留米絣をインドに輸出というのはあんまり考えてはいませんでした。見せれる場はつくれたらいいなとは思うのですが、どうしても海外に持っていくと高くなってしまうというのが大きな要因です。もし海外に展開していくとしたら、通信販売をきちんと英語化して他言語対応していくというのが一番海外に商品を売っていくという意味では早いように感じています。インドでやれそうなことは、インドの技術や産業、文化をしっかり理解して、そこでのものづくりを少しやれるんじゃないかと思っています。そして、この日本の技術や文化と比較していく。日本では手仕事が非常に難しくなっています。人件費もどんどん高くなっているけど、物の値段はどんどん下がっている。手仕事にとっては厳しい環境です(それは仕方ない)。その変わり手仕事を補助する機械などが開発され、効率よくつくられる様に工夫されています。少なくとも久留米絣という産業はそうやって生き残ってきました。
藍染手織りという昔ながらのやり方と、化学染料機械織りという現代の価格にもまだ見合うような商品を提供できる仕組み。そして、日本人独特の細かいニュアンスを詰めれる繊細さ。この辺が世界的に見たら武器になっていくのではないかと感じました。
インドの絣は幅が広く、綿や絹で織られます。もちろん手織り。染織も多色使い僕から見たら結構やりこんでいます。それでも日本の絣よりももちろん安いです。話しをいろいろ聞いてみると(通訳さんに)インド南部の方で村や州単位で文化や風習も違い、織られている布も違うようです。北の方は絨毯なんかを作っている人達が多いようです。
他の地域の文化や風習、技術を見ることで、もう一度自分達の地域文化を考え直すきっかけに多いになると思います。インドでもし布製品を作る時は、多分「うなぎの寝床」としてのアウトプットではないかもしれないですが、かならずこの地域に還元できるものを持ち帰れると確信しています。まずは僕の言語力が大いなる問題ですが、まずそこを解消しながら、世界中とコンタクトをとりながら、ものづくりの文化を見ていき、日本に還元していきたいと思います。
何部の村の絣。M単位で買って来た。
こちらは絹のサリー。
どうやってるんだろ。端は経絣、中央は横絣。
アップにしたらこんな感じ。つまみ染めなのか?絵絣ですね。
番外編写真。
インドの男の人はサラッと綿やストールを巻いている人もいました。朝晩と昼の温度差がはげしいのか、日差しが強いからなのかわかりませんが、なんだかいいなと思いました。そして、言葉には出しませんでしたが、大体東南アジアやインドのような埃がすごい土地に行くとみんな耳毛と鼻毛がボーンと飛び出ています。多分身体が本能的に防御態勢に入るのでしょう。このボーンと飛び出たまま放置しておく精神力が日本人にはなかなかない感覚だと思っていつも関心します。
今回は、強行の2泊3日とかなり短い旅でしたが、得ることも大きく、今後の展開に影響を与えそうです。大体東南アジアや旅行から日本に帰ってきたときに「ああ、また日常に戻ってしまう。」という虚無感に襲われることが多いのですが、今回は日本に降り立った瞬間に埃もないし、ゴミ一つ落ちてないし、トイレは綺麗な水がシャッーーっと流れるし、なんだか「日本ってすばらしいね。」という気持ちになりました。真面目な日本人。良い側面も悪い側面ももちろんありますが、良い部分を活かしながら、今後もがんばりましょう皆さん。では。
さらっとストールを巻いて、手放しで電話をかけながら自転車に乗るにいちゃん。
耳毛ボーンのおじさん。こっそり撮ってごめんなさい。
白水