佐土原人形店 ますや
佐土原人形は、宮崎県宮崎市佐土原町で作られている郷土人形です。1597年慶長の役の際、朝鮮から佐土原に移り住んだ高麗人が戯れに人形を作ったのが起源だと言われていますが、諸説あるため定かではなく、江戸時代に佐土原藩の藩邸が京都の伏見にあったことから伏見人形の影響を強く受けています。明治から大正にかけて最盛期を迎え、節句人形、饅頭喰い人形、鯨乗り、佐土原独特の歌舞伎組人形などが作られます。饅頭喰い人形はもともと男の子の人形でしたが、佐土原人形ますやの3代目が、人形は女の子が持つから女の子にした方がいい、と女の子の人形に変えたため、以来佐土原では女の子の饅頭喰い人形が作られています。戦後窯元の多くが途絶えましたが、1965年にますやは約20年間休業していた家業を再開。2018年には下西美和さんが7代目を継承し、現在も代々受け継がれた型をもとに人形作りを続けています。
■ 歴史 : 京都とのつながりから生まれた、伏見人形の影響
佐土原人形の起源については諸説がありますが、京都の伏見人形から大きな影響を受けたと言われています。佐土原人形を代表する「饅頭食い人形」は、全国的につくられる郷土人形のモチーフですが、もともとは伏見人形が原型とされています。他にも、節句物・縁起物・風俗物など伏見人形の流れを汲む、人形の原型がいまも数多く残されています。中世から、日向国(現在の宮崎県)の中心的存在を担っていた佐土原は、歴代の大名たちと京都のつながりが深く、江戸時代には京都藩邸が伏見にあったこともあり、文化的な影響が大きかったと考えられるのです。
■ 土地性 : 佐土原の地域の物語を今に伝える郷土人形
伏見人形から多大な影響を受けて発展した佐土原人形ですが、佐土原の文化を反映する人形も数多く生まれました。城下町の商人文化に支えられ、佐土原では江戸時代に「佐土原歌舞伎」という農村歌舞伎が栄え、「忠臣蔵」や「静御前と狐忠信」など歌舞伎の演目の一場面をあらわす歌舞伎人形が作られました。また「シャンシャン馬」という人形は、鵜戸神宮まで馬に花嫁をのせてお参りする宮崎の風習をモチーフにしています。他にも、藩主が早死にしたことで、幼い子供が世継ぎ争いに巻き込まれ「鯨のように力強く育って欲しい」という母親の願いが込めた逸話のある「クジラ」をモチーフにした人形も、佐土原という地域の物語を今に伝えています。
■ 素材・技術 : 2種類の型の製法で、粘土から人形へ
佐土原人形は、粘土を原料とした土人形で、型を用いて作られています。成型は、手で粘土を型に押し当てる「手押し型」と、型の中にどろどろの液状にした粘土を流し込む「鋳込み型」の2つの製法を併用しています。少量の水ガラス(珪酸ソーダ)を混ぜた粘土をよく捏ね、型で形を作った後、適度に乾燥させます。型が合わせ目にできた角などを面取りして、きれいに形を整えてから、800〜900℃の温度に熱した窯で焼成します。その後、焼きあがった人形に、墨や絵の具で絵付けをしていくと、素朴で愛らしさに溢れる佐土原人形の完成です。
宮崎県のつくりて 全3社
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