櫨蝋でつくられる和ろうそく – 消えた櫨の木を見て、ものづくりを考える - 

消えた櫨の木

通勤中の見慣れた景色の中に違和感が…先日までそこにあったはずの櫨の木が切られてなくなっていました。
なくなる時はあっという間になくなるし、一度無くなったらなかなか復活させることは難しいと、この仕事をしている最中によく耳にします。経済的に成り立たないという理由もそうですが、製品の需要の有無と関係なく、何らかの理由から突如なくなることもあります。その一つが人手不足などで原料が取れなくなること。この櫨蝋の仕事もそのひとつかもしれません。

余談ですが、旧寺崎邸内にあるあだち珈琲の安達さんと話していたら、先日訪問した南米の仕入れ先の農園が同じ状況になりそうだったと言っていました。手で摘む人を確保するのが難しくなると。今享受できている環境は当たり前に維持できるものではなく、世界中で課題として同じようなことが出てくるのだろうと思います。

 

櫨って知ってるかい?

この木、和ろうそくの原料が取れる実をつける櫨(ハゼ)という木です。この櫨の木はウルシ科ウルシに属する落葉小高木で、夏には青々とした細長い葉っぱをつけ、秋にかけて紅葉し、冬には枯れて葉が落ちて実だけになります。2020年11月頃の出勤中にふと道脇をみたら採取しているおじさんがいたので声かけて撮影させてもらいました。八女周辺では山の中や畦道、高速道路の脇の緑地に植えてあるのを目にします。筑後地域にお住まいの方に、櫨のことを話すと「子供の頃に櫨負けして大変だったー。」と幼少期の懐かし話を聞きます。櫨はウルシ科なので、夏の勢いがある時期は触れたりするとかぶれることもあるようで、ひどいときは梅雨時期などに櫨の木の下を通ってその雨水に触れただけでもかぶれたという話しも聞きます。どのくらいのものか試してみようと、夏場の盛りの時期に葉っぱを手の甲につけてみました。見事にかぶれました。(笑) しかし、かぶれるのは夏の時期で冬になり葉っぱが落ちたころには触れても大丈夫です。秋の紅葉の色合いが美しいのも印象的なので、ぜひ秋頃に周りを気にしてみて欲しいです。

昔はこの八女地域も茶畑の間に櫨の木がたくさんあったという話も聞いています。今でも櫨蝋の需要はしっかりとあるらしいのですが、櫨の実を千切る「ちぎり子」さんが減っているようです。櫨の実をちぎる仕事は、昔は農閑期の仕事だったようですが、現代では重労働で大変なこともありちぎる人が減っているうえに、櫨の木もどんどん切られていっているようです。この写真の木もその一つ。

実を採取しているところ

櫨の実

 

製蝋技術と需要はある 原料採取の今後はどうなる

福岡県南、八女市のお隣にあるみやま市に嘉永8年創業で現在7代目の荒木さんに受け継がれている、荒木製蝋所という櫨の実から蝋を精製する工場があります。荒木製蝋所では櫨の実に含まれる蝋を薬剤を使って抽出します。その蝋は皮と種の間の綿のような部分に含まれているのですが、ジュワーっと出てくる訳ではなく、実を指で擦り潰してみても「蝋分あるかな?」というぐらいのものから搾り出されます。他の抽出方法として玉締めと呼ばれる原始的な方法もありますが(長崎の方で行われている)、ほんの少ししかとれません。今では国内で製蝋できる工場は2件のみとなったようです。そして、抽出された蝋は固められ、使途に合わせて天日干しで漂白したりして、和ろうそくの原料や医療品、ハンドクリームなどの化粧品、クレヨン、木工用のワックス、お相撲さんの髷など日本髪を結うときに使う鬢付け油(びんつけあぶら)などにも使われます。欧米の方へも化粧品の原料として輸出されているそうです。

話は変わって、石油由来のパラフィンろうそくが今の世の中では一般的ですが、水素を化合し油を固めた硬化油というものなので厳密には櫨などの蝋とは別物になります。硬化油だと精油を混ぜられるので香りをつけたりすることもでき、色々な油から蝋燭が作れるという良さがありますが、油の独特な匂いがしたり、結合が不安定なので溶けやすいことがあります。一方で櫨の和ろうそくは香りがほぼなく、煤が出にくく、安定していて蝋ダレしにくいので、その良さを活かして香りを邪魔しないキャンドルとして飲食店や家庭のダイニングなどにも需要が広がっているようです。

このように櫨蝋は和ろうそくとしての良さもあり、さらに蝋燭に限らず用途が多岐にわたり世の中から求められているにも関わらず、原料を取る仕組みが成り立たなくなり減ってしまう話を聞くともったいないなと思ってしまいます。がしかし、それと同時に需要があるということはお金になるということなので、まだまだ可能性があるとも思いました。ちぎり子さん達もそうだし、昔は子供達が小遣い稼ぎのようにちぎって持ち込んでいたという話を聞きます。櫨負けなどで嫌煙される一方で、櫨の実がお金になり経済の一部であり続けられると残るということだと思います。外から見た感覚なので内情はもっと複雑で困難が一杯だと思いますが、需要からして可能性がないわけではないし、課題もはっきりしているように思います。貴重な天然資源としての可能性を何とか現代の形として残せる方法を探りたいものです。まだまだ自分達にそんな余裕はないのですが、接点を持てたらなと考えたりもします。

 

蝋を絞った後のカスを出すところ (このカスは久留米絣の藍染をする藍甕を冬場に温める燃料として再利用されてます。長くゆっくり燃え、高温になりすぎない特性がよいとのこと。)

さてさて、現代では貴重な資源である櫨蝋が、滋賀の大與へ行き、和ろうそくとなってまた原料の取れる筑後地方へ戻ってきています。日本の暮らしの中で育まれた灯りとそれを支えている産業が時代の流れで様々な変遷を遂げています。これが大與の和ろうそくを通して見える地域文化の景色の一端だと考えます。

現代の電気のように安定した灯りの安心感はありますが、和ろうそくの灯りはそれとは違う安心感をもたらしてくれると思います。無理やり例えるなら、サブスクのデジタル音源とアナログレコード、高速道路と一般道、冷凍食品と親の手作り唐揚げなど、便利さ手軽さではなく不安定さも含めた味わいが刺激する心地よさかもしれないとも思います。明治期までは当たり前だったゆらぎ瞬く和ろうそくの灯りを暮らしの中に取り入れて、安らぐ時間を過ごしてみてください。

春口

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