【2F企画展】ムーンスターなくしてはブリヂストンもなかった話

面白い本を読みました。林洋海『ブリヂストン 石橋正二郎伝』(現代書館、2009)です。久留米の本屋さんで平積みになっており、何気なく手に取って目次を見てみると、「足袋王国久留米の魁となった倉田雲平」という項が目に飛び込んできました。倉田雲平。現在うなぎの寝床2Fで企画展中の久留米の老舗スニーカーメーカー、ムーンスターの創業者です。そのままレジに向かいました。

今や世界一のタイヤメーカーであるブリヂストンですが、始まりは仕立て屋。それを足袋専業にしたのは明治40(1907)年頃、弱冠17歳で家業を継いだばかりの石橋正二郎でした。彼にその決断をさせたのが、この倉田雲平だったのです。

長崎で修業した倉田雲平は、明治6(1873)年、久留米で足袋作りを始めました。家は没落しており、生活は苦しかったようです。そのなかで彼は、暮らしに欠かせず需要が多く、しかも消耗品を足袋の製造を思い立ちました。足袋は必需品ながら低くみられており、逆に競争が少なかったため、新参者でも成功できるのではないかと思ったのです。こうして雲平は、ムーンスターの前身となる「つちやたび」を開業しました。

戦争に翻弄されたり、悪戦苦闘しながらも、その丁寧なつくりが評判を呼び、雲平は商売を大きくしていきました。ドイツ製のミシンをいち早く導入し機械化に踏み切ったり、斬新な広告宣伝を売ったりするなど、革新的な方法もどんどん取り入れていきました。

とりわけ石橋正二郎に大きな影響を与えたのが、雲平の従業員に対する態度でした。従業員あっての「つちやたび」だという考えのもと、彼らを厚遇しました。利益分配制度や救護制度、退職資金貯蓄規定制度など、当時では考えられない制度を創設しました。学のある従業員を重用したり、食事も自分たちと同じ献立にして健康に気を使ったりもしたそうです。また、工場に職工養成部を立ち上げ、養成中も手当てを支払うなど人材育成も図りました。

当時の久留米の商店ではまだ丁稚奉公が続いており、給金もまともにないような雇用関係で、つちやたびのような厚遇は考えられませんでした。そのため雲平は嘲笑されることも多かったようですが、この、従業員の幸福も考える雲平の経営に正二郎は感動しました。それだけではなく、その幸福が従業員をさらに奮起させ、つちやたびの業績発展につながっているということも見取ったのです。

そして明治43(1910)年、つちやたびはついに関西に進出。このような「雲平の事業拡大の道筋は、正二郎にとって、事業家のあり方と発展の道をひもとく手引き書のようなもの」となりました。

家業を継いだ正二郎が、まず手をつけたのが従業員の待遇改善でした。雲平から学び、従業員の意欲と能力を最大限に引き出すことが最優先と考えたのです。のちにブリヂストンを世界一に育てる正二郎の快進撃は、ムーンスターの創業者の背中を見ることから始まったのでした。

このようなつちやたびの福利厚生の良さは、現在のムーンスターにも引き継がれているようです。個人的にも、初めてムーンスターの工場に伺った時にその立派な救護室にびっくりしたりしましたが、先日いらしたお客様のお話が興味深いものでした。

その方のお母様は、戦後すぐの頃にムーンスター(当時は日華ゴム)で働かれていました。その頃、ムーンスターにはすでに授乳用の「乳やり場」というのがあって、女性は小さい子どもを連れて出勤することができたそうです。今回ご紹介した本に「日華ゴムは女性の従業員が多かった」と書かれていましたが、このように女性が働きやすい環境というのが当時、すでに整えられていたのかもしれません

ムーンスターのスニーカーそのものはもちろんですが、140年以上久留米の経済を支え、後進に刺激を与えてきた老舗企業としてのムーンスターも、このようにまた興味深いものです。岡本

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ー 詳細情報 ー
企画展:ムーンスター
期間:1月12日〜1月29日(※月火水は定休日)
時間:11:30〜18:00
ー 通販・HP ー
うなぎの寝床HP→http://unagino-nedoko.net/
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