【雑感にょろり】津屋崎のモマ伝説。宮地嶽神社の黄金の古墳と、開運を導いたフクロウの話。うなぎの遠足レポート②
【雑感にょろり】津屋崎のモマ伝説。宮地嶽神社の黄金の古墳と、開運を導いたフクロウの話。うなぎの遠足レポート②
津屋崎人形の代名詞「モマ笛」。人間とフクロウの関係性とは。
いよいよ2週目に突入する、津屋崎人形の企画展。9月某日にうなぎメンバーみんなで行った、津屋崎遠足では「筑前津屋崎人形巧房」の原田誠さんとご家族の皆さんに色々とお話を伺いました(http://bit.ly/2htQgvQ)。
津屋崎人形の場合は、古博多人形の流れを汲んでいるため、節句人形などの大きな人形も古くから作られていますが、「モマ笛」と呼ばれるフクロウの土笛でもよく知られています。フクロウは森の夜間生態系ピラミッドの中でも頂点に位置する猛禽類で、木の枝で獲物を待ち伏せして、ぴゅっっと飛びかかる狩りの名手。夜の暗闇の中でも、遠近感が正確につかめるほどの視力の持ち主で、首が左右にぐるぐる自在に回るので、体を動かさずとも270度の範囲を見ることができるのだそうです。
そんなフクロウが古今東西の神話・民話・童話などに、「森の賢者」などとして登場するのはうなずけます。ギリシャ神話で登場する、知恵、芸術、工芸、戦略を司るギリシア神話の女神、アテーネー(アテネ)は、フクロウを自身を象徴する聖なる動物として扱っていたのだといいます。逆に東洋では、成長した雛が母鳥を食べてしまうという言い伝えから、「親不孝者」というイメージもあったそうで、梟(ふくろう)の字を使う「梟雄」という言葉は悪名高い者や盗賊の長などの意味があります。しかし、これもフクロウを「ただならぬ存在」だと人間が感じたからこその、表現だったのだろうと思います。
宮地嶽神社の知られざる過去。巨大古墳の黄金の副葬品が形成した「開運」のイメージ。
津屋崎地域の言葉で「モマ」と呼ばれるこのフクロウが、人形として多く作られるようになったのは、津屋崎の象徴でもある「宮地嶽神社」の存在があったからだと原田さんに伺い、帰りにうなぎのメンバーでお参りしにいきました。宮地嶽神社は、某航空会社の某ジャニーズCMに登場し、山の上の鳥居から海まで一直線に続く参道の先に、1年に2回だけ夕日が沈む様子が見られる「光の道」で有名になった神社。もちろん景色も素晴らしかったですが、思った以上に立派な神社でびっくりしました
調べてみると、宮地嶽神社では、6世紀末頃の建立と推定される巨大古墳が300年前ほどに出土したのだそうです。その全長23mもある横穴式石室は、日本一の大きさを誇り、国内でも稀なほどに「黄金」を使った豪華絢爛な副葬品が数多く見つかったのもあり、古代の時代の北部九州の王が祀られたと考えられています。こういった背景もあり、宮地嶽神社に祀られる神様は「開運の神」「商売繁盛の神」として人々から慕しまれるようになったのだそうです。
そんな宮地嶽神社とモマの関わりは、開運にまつわるある言い伝えから来ています。ある日、信仰深い正直者が宮地嶽の山中で道に迷って途方にくれたいたとき、モマ(フクロウ)に導かれた金の玉を得て、これを祀ったところ商売が成功したというお話です。現在では1月中旬に行われる「玉替祭」というお祭りで、参拝者が「金の玉・銀の玉」を買い求め、これを多くの人と取り替えっこすることで福徳が増す!というイベントに進化しているのだそうです。
郷土人形の発祥も、当時の世相を表す。津屋崎の顔になったモマたち。
モマ笛も神社の参道などで「縁起物」や「土産品」として売られるようになったことで、発展したもの。津屋崎人形に限った話ではありませんがが、郷土人形はそうやって「ぼんやり」と始まったものが多い気がします。現代でいえば「くまモン」みたいなゆるキャラと同じような感じかもしれませんね。熊本に行ったらくまモングッズが欲しくなるのと同じで、津屋崎に行ったらあのモマの笛をお土産に買って帰ろう、みたいなのがスタンダードになっていったのかもしれません。
それが何百年か続くと、同じ人形の型でも時代ごとに表情や絵付けが変わり、作り手の個性と時代のニーズが見えてくるようで面白いです。郷土人形のコレクターやファンが多いのも、そういった面白さあるからかもなーと思います。今週土曜日には、実際に「筑前津屋崎人形巧房」の原田さんを訪ねる工房見学も開催します(残席2です!お早めに!)。郷土人形を通して、是非津屋崎という土地にも出会っていただきたいなと思います。渡邊