【研究まにまに】パラカとアロハとハワイの移民史(1)

パラカと絣の関係は、日系移民に結ばれた

722日より81日まで福岡三越7階にて、久留米絣で作るアロハシャツを販売していました。この機会に、アロハシャツのことを少し調べてみました。

そもそも、ハワイにはアロハシャツの前に「パラカ」というジャケットがありました。こちらは、サトウキビ農園など、ハワイのプランテーションで働いていた労働者が作業着にしていたものです。その労働者には、日本からの移民が多くいました。19世紀後半のことです。

彼らは最初、日本から持参した着物を着て作業をしていました。しかし着物はハワイの気候や農園での作業に適さず、彼らは徐々にそれらをほどいて、他国からの移民労働者達の服装も参考にしながら独自の作業着を作り上げていったそうです。当時の記録には、絣の着物地で作られた作業用ジャケットやスカートを着ている日系移民達が多く写っています。

このハワイ日系移民の服飾史研究に当たられた日系のバーバラ川上氏は、当時の衣類を精力的に収集されました。

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それらはカリフォルニアの「全米日系人博物館」に寄付され、現在、一部が同博物館のウェブサイトで公開されています。こちらは絣地で作られた女性用の作業ジャケットです。服の裏地や子ども服には、米袋を漂白して使ったりもしたようです。

次第に、貴重な日本の布の代わりに、現地で手に入る生地も普及していきました。そのひとつが「パラカ」という重い木綿地です。このパラカとは英語の「frock」をハワイ語の発音にしたもので、元々はハワイに来航するイギリスやアメリカの船員達が着ていた、ゆったりとした長袖の仕事着用のシャツを指していました。しかし徐々にその意味が変化し、その布そのものを指すようになっていったようです。

そして、この「パラカ」という言葉は、現在「パラカシャツ」と呼ばれる服にも使われている、濃い青と白でチェックに織られた素材を意味するようになっていきました。

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移民一世達はこのパラカ生地を「ゴバンジ碁盤地」と呼び、ことのほか気に入っていたそうです。それはこれが、格子や絣の浴衣地に風合いが似ていたから。山口、福岡や熊本など、西日本各地からの移民が多かったこともあったかもしれません。

日系移民だけでなくハワイ全体に浸透したこの生地を使って、さまざまな衣類が作られるようになりました。開襟シャツものそのひとつ。1920–30年代のことです。日系移民によるパラカ専門店「アラカワ・ストア」も開かれました。このお店は1995年までパラカを販売していたそうです。

パラカだけで長くなってしまいました。アロハについては、また次回

岡本

《本日の参考文献》

川上、バーバラ・F『ハワイ日系移民の服飾史絣からパラカへ』平凡社、1998

Kawakami, Barbara. “Pride and Practicality”, Textile Society of America Symposium Proceedings, 2008.
『翼の王国』No.536 20142月号
全米日系人博物館 (Japanese American National Museum) Bahbara Kawakami Collection

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