【2000字コラム 渡邊令】久留米絣の織元シリーズ ⑷ 経営者と職人の間@下川織物 / “Kurume kasuri” weavers’ interview series 4: Shimogawa Orimono
【2000字コラム 渡邊令】久留米絣の織元シリーズ ⑷ 経営者と職人の間@下川織物 / “Kurume kasuri” weavers’ interview series 4: Shimogawa Orimono
インタビュー中の下川強臓さん。
Mr. Kyouzou Shimogawa during the interview.
「生産の効率化」と「柔らかさの追求」
合理的に創意工夫を重ねる、未来志向型
天秤にかけた、家業の未来と自分探しの道。織元に生まれた運命と向き合う。
2014年の「もんぺ博覧会」から登場した、うなぎの寝床オリジナルもんぺ。久留米絣の柔らかい風合いと抜群の着心地を知ってもらう「入り口」として、履きやすい無地やベーシックな柄を中心に展開しています。そんなうなぎオリジナルの生地を織ってもらっているのが、八女の祈祷院というエリアにある下川織物さん。60〜70年前の小幅シャトル織機が20台動いており、この地域では比較的生産量の多い織元です。特に無地の生地に関しては、早い段階から効率的に織る仕組みを構築し、また経糸の本数を減らし弱い打ち込みで織っているため、独特の柔らかい風合いが魅力。そんな特性が、継続的にオリジナルMONPEを作るのに最適だということで、3代目の下川強臓さん(45歳)と一緒に取り組み始めました。下川さんのところに伺うと、織元さんが職人でもあり、商いをしている方達でもあるということを痛感します。どれだけ高い技術があって柄や風合いを追求していったとしても、商売として成り立たなければ、生き残っていくことはできません。「貴重な伝統工芸を残したい」というノスタルジックな感情だけでは難しい、非常にシビアな世界でもあるのです。「経営コンサルタント」になろうという気持ちで、東京の大学へ行った強臓さんも、織元として生まれた運命となかなか向き合えずにいたそうですが、後継ぎのいない織元が、取引先から「あそこは将来性がない」という目で見られ、少しずつ生産量が減り、やがて廃業していく姿を見ていきます。ぼんやりとしか考えていなかった自分の将来の目標と、帰らないと家業が傾くかもしれないという現実。天秤にかけたら、答えは明白だったといいます。「自分探しをするために東京へ行ってはみたものの、自分が何をしたいかではなく、周りの人のためにできることをすることが、最終的な結論だった」と語る強臓さんは、継ぐと決めた翌日には引っ越しを始め、大学の卒業式も待たずに22歳で家業を手伝い始めます。
技術を追求する職人と、合理性を考える経営マインド。混ざり合ってできるテキスタイル。
2代目の父・下川富彌さん(75歳)は探究心旺盛で、次々と改革をしていく経営者気質。人の手がかかる久留米絣は、人件費がかさむ商売でもあります。そのため富彌さんは生産効率をあげるため、久留米絣の特徴である柄物に加え、無地の織物を安定的に織れる体制を作り上げ、織機も12台から20台に増やします。「無地」と一言で言っても、使う糸の番手(太さ)やヨコ糸の打ち込みの強さなどによって、柔らかさや風合いが違います。下川さんのところでは「手織りの風合いを再現した無地」を目指し、糸や織機の微調整をしながら追求しているので、長く履いていると柔らかさにも違いが出てきます。富彌さんはどちらかというとそうやって「技術」を追求していくタイプで、問屋さんなどの大きい取引先の要望を聞きながら、実現していくスタイルでものづくりをされてきました。後継ぎとして戻って来た息子の強臓さんにも「半日工場・半日外交」という課題を与えます。要は現場で技術を学ぶ時間と、問屋さんとの営業の時間を半々にすることです。ところが強臓さんはどちらかというと直感型で、言われたままに作るよりは自分独自で柄や生地を作りたかったといいます。ただアーティスト気質というわけではなく、目の前にいる人材(人によって得意な柄や生産効率が違う)・染色された糸・織機の種類・柄などの条件を吟味し、「料理人」的にマッチングさせるものづくり。今ある材料で何が出来るだろうか、という発想です。とても合理的でありながらマニュアル通りではない、職人兼経営者としての絶妙なバランスで成り立っているということが、下川さん親子の共通点であると感じます。
久留米絣の未来を信じ、野心を持って突き進む。
「久留米絣の織元という仕事に未来はあると思いますか?」という質問を投げかけると、強臓さんから「あるという前提で続けています・・・そうじゃないとモチベーションが続かない」という答えが返ってきました。継ごうと思って帰ってきた頃は、将来的には仕事がなくなるかもしれないという危機感もあって、行政書士か何か資格でもとって「二足のわらじ」で続ける可能性についても、父・富彌さんと話し合ったといいます。しかし実際の織元の仕事は、とても両立できるような量ではなく、しっかり取り組まなければいけないと思うようになったそうです。200年続いている久留米絣の歴史が、今後も続いていくとして、その歴史の一点に名を残せるようなものを作ることがモチベーションだと語る強臓さん。「邪心はないけど野心はある。僕だって純白のメルセデスでドンペリを飲みまくりたい(笑)」と冗談交じりに話された言葉が印象に残っています。伝統工芸の世界が淘汰されていくのは免れないかもしれません。いかに非効率的だとしても、家業じゃなければ継ごうなんて思わなかったとしても、少しでも次の世代が続けたいと思える要因を増やしていけるかが、織元だけではなく久留米絣業界全体の課題でもあり、仕事として関わる条件なのではと考えさせられたインタビューでした。渡邊∈(゜◎゜)∋ ウナー
【MONPE】
http://monpe.info
【久留米絣もんぺ通販】
http://bit.ly/1bLYM5p
3代目・下川強臓さん。久留米絣は手のかかる織物。自らも工場に立って、ヴィンテージものの織機を動かします。
Mr. Kyouzou Shimogawa, the third generation of Shimogawa Orimono, working on the vintage shuttle loom re-adjusting the weft on the shuttle.
染めが終わったくくり糸。久留米絣は、糸の段階で模様通りに先染めする複雑な織物。
The tied warp finished dying. Kurume kasuri is a textile made in ikat technique, tie-dying the yarn before weaving.
うなぎの寝床 オリジナルMONPEの柄の一つ:ずらしストライプ(ブルー)。
Gap stripe (blue) pattern textile, which is used for Unagino-Nedoko original Monpe pants. Shimogawa Orimono weaves all of our original textile.
工場の様子。20台の小幅シャトル織機すべてが天井のモーター一つで動いている。
Inside the mill: There are 20 vintage shuttle looms (38cm width) and all of them are moved by one motor.
無地のたて糸の整経。糸にテンションがかかり過ぎないようになっており、下川さんの生地の柔らかい質感の要因の一つ。
The warping process: The yarn is pulled softly so that the textile becomes softer when weaved.
無地を効率的に織るために不可欠な木管。
They use pirn bobbins for solid color yarn, one of their strengths as a mill
Shimogawa Orimono
もちろん無地だけではなく、たくさんの魅力的な柄も考案しています
They have all sorts of beautiful kasuri textile