【考えたこと】無地の布について考える。「精神的な衣服、機能的な衣服。」
無地ということは、機能が求められる。
柄には精神性やアイデンティティが求められる。
何度も久留米絣のもんぺの話題で申し訳ないのですが、うなぎの寝床では久留米絣のもんぺを作っています。久留米絣というのは糸を括って、染めて、そこから柄を出して行く技法です。厳密に言えば。。。でも僕は本質は着心地にあると考えていますので、去年はじめて無地シリーズをたくさんつくって、オリジナル化しました。
民族意匠などで無地をみたことあるか?
今織物の起源やなりたちの本を読んでいます(織物 人とものの文化史 下記にリンク)。織物がまだ産業として発展を遂げていない時代、まだ布を生産するということが機械化、産業化される以前の話です。布を作るということは、経糸を何百から何千本張り、緯糸を地道に通していき、布を織り上げていかなければなりませんでした。腰機、地機、錘機と、それぞれの地域で織りの種類は違ったのですが、織りは機械化されておらず原始的にも関わらず、柄は派手で複雑なものが多いです。よく民族衣装やアフリカの布などを見てみると、無地の布なんて見た事ないですよね?
精神的な衣服、機能的な衣服。
人間は裸の生活からはじまり、はじめの織物は腰に紐のようなものを巻くという所からはじまったようです。腰に太い紐を巻き、そこから細い紐がピロピロと足れている。それを機能的な側面で捉えると下半身が隠れている訳でもありません。でも身に纏っているのです。それは機能的な側面より精神的な側面の方の意味合いが大きかったことを意味します。
同じように、民族衣装などの布は、他の部族と見分ける為に派手な柄がついていたり、神を祭るための儀式のための布だったり、文化的な背景があり、複雑な柄が刻まれたりと、無地の布よりも柄の布の方が主流です。
一方で、ヒマラヤやアルプス、アンデスなど高い山脈で発見された織物は、動物の毛皮や植物を束ねて織り込み布にしたりしたものも多くみられ、それは装飾が施していたり、柄が複雑ではなく、わりとシンプルな無地の物が多いと思います。日本で言えば「簑(みの)」などを想像したらよいかもしれません(織物ではないかもしれないが)。簑にビーズとか装飾とかは考えにくいです(笑)。
この辺の衣服はもう「ないと死ぬ」という防寒の意味での機能的な衣服ですね。それは無地も多く採用されています。採用されているというか、装飾の必要がなかったというところでしょうか。
久留米絣で無地をつくる理由。
それは、機能的な側面を際立たせたいから。
産業革命以降、衣服というものは自分のアイデンティティーを表現するための意匠、精神的な側面のものと、外敵、外気から身を守る機能的な側面が両方あると思っています。久留米絣という産業は柄をつくることでそのアイデンティティーを担保してきました。だから、柄にこだわる人も多いと思います。それはそれで非常に大事なことだと思いますが、僕は機能的な側面(着心地)がとても他の布よりも優れた側面だと思っているので、あえて無地をつくりました。
久留米絣という伝統工芸でイメージが定着したものではなく、その意匠的側面を排除し、機能的側面だけを残す。そういう取り組みです。結果多くの人に日常着として実感してもらえたという自負はありますし、それが大事なことだと思っています。無地をまず履いてもらって、久留米絣という産業や、柄のつくりかた、柄も着てみようかしら。と興味を持ってもらえたらなおさら嬉しいなと思っています。
そんなこんなで、無地についてあれこれ考えてみたことを書きました。では。
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