【考える事】ちくごのものづくりは、世の中の主流になりえるのか?

2017

先日、フィンランド出身で今博士論文を書いているというパイヴィさんを久留米絣の工房や八女大茶園に案内しました。彼女は「もったいない」「ロングライフデザイン」というテーマで博士論文を書いているようです。彼女といろんな話しをしていると浅草のアミューズミュージアム常設コレクションBoro」の話しをしていました。「ボロの美」なんて、今は少しそういう文化が見つめ直されているような気がするけど、海外に居をかまえる人の方がもしかしたら、日本のこと、日本人のことをじっくりと観察しているのかもしれません。

僕は、あれこれインタビューされて(通訳は隣のゲストハウスを営む川のじの柴尾くんにお願いした)今やっている活動や、どういう部分にもったいないと感じるのか?僕らは修理まで請負ながら、物を販売しているけど、それが世の中の主流になることはありえるのか?といった質問を受けました。 あなたたちの活動や、今販売しているものが世の中の主流になりえるのか?これは面白い質問だなと思いました。答えは主流になることはありえないと思います。という答えでした。僕らは今扱っているものが生活用品であり、こういう物が日常で使われることが良いと思って、それが普通になればいいと信じて活動を行ってはいますが、それは理想であって現実ではありません。

まずは作り手の問題。様々な生産レベルの作り手がいて、僕らが扱っている商品はあくまでも手工業か、それを補助する機械を導入した半工業製品。どうしても手間がかかってしまい、大量生産にはそんな向かない商品です。この商品を日本中の人が、世界中の人が欲しいと言われても、その需要に答えれるだけの供給量がありません。大量に供給できないとなると、価格もそんなに落ちることはないし、多くの人が仕事として関わることができないということです。それが生産面から考えた一つの視点です。世の中の主流になる。生活の一部になるということは「恐ろしい量の需要に耐えうる供給量と流通システムを持つ。」という事だと思います。ただ、その供給量を実現するためには、恐ろしい量の資材と、人的資源と、設備と環境が必要です。そこは、もう大手の会社がたくさんやっている部分なので、私たちがやらなければならない領域ではないと思っています。

逆に、家内制手工業から中小企業レベルまで、様々なつくりてが存在する地域で広報的な役割なら担えるんじゃないかとはじめたのがこのうなぎの寝床です。「広報」という形態であれば、家内制手工業の生産者から、中小企業レベルまで欲しているし、使う側(消費者)も、つくりての情報がしっかりと行き届いていないという現状があります。その間を上手く情報という「ホワーン」としたもので繋ぐ事で、小さいけれども場ができる。それがうなぎの寝床です。
家族でやってる作り手には、その規模にあった生産のレベルと幸せの形がある。それは「売れまくる」という経済の部分とは別のところかもしれない。「やりがい」や「想い」が大事な部分の場合もあります。一方で社員が10人から2〜300人の中小企業くらいのレベルになってくると会社の責任のレベルも違って来て、会社としては「売れまくる」ことが一つの幸せの形になるのかもしれない。僕らは、そういう「ものづくり」の背景が違うつくりての方々の、それぞれと合ったやり方で前に進めたらなとは思っています。

なかなか、自分達の思考の全てをいろんな方に理解してもらうということはむずかしい。結局のところ商品を売り買いし、そこで発生するコミュニケーションの際に地道に伝えていくしかない。他にどんな伝え方があるのか、WEBが発達してきた今、どういう新しい可能性があるかを考えてはいますが、まだまだ模索中で実際実行できてはいません。コツコツとその方法を模索して、より良い選択をしていきたいと思います。がんばります。

なんだか決意表明みたいになってしまいましたが、最近は人前で話す機会をもらったり、特殊な職業の人と話したりと色々と考える機会が多く、考えることがたくさんあったので、アウトプットとして書きました。