【本を読む】芸術実行犯Chim↑Pom(チン↑ポム)/朝日出版社
Chim↑Pomは、何かのインタビューで知って、作品自体に強烈に心を動かされた訳ではないのですが、活動の方法はすごく興味があり、どういう思考で活動を行っているのか興味があり読んでみました。
美術館での企画展への違和感。
パブリックアートの面白さと危うさ。
“美術館に入ることで形骸化(けいがいか)してしまうのではなく、常に刺激を与える生きた芸術として人々に作品をさらすこと、それが岡本太郎の意思でした。”
“美術館に行くときは「謎に会うぞ」と心の準備もできていますが、公共空間は違います。実際に外での製作中、警察から注意されるほとんどの理由は「なんだか分からないと他の人が怖がる」からです。つまり公共空間では謎の展示は許されていないのです。もちろん美術館での謎との出会いも面白いのですが、仕事先などで段々人を好きになっていくのと突然の出会いが違うように、謎との出会いは突然のほうがヤバい場合がある。日常を揺るがし、日常を疑わせ、日常を気づかせる・・・平和の中で平和に気づく、それはなかなか無理がある難しいことです。有事になって改めて平時の意味に気づくように、それは不安定な状態でこそできやすいのです。”
僕は美術畑ではないので、美術館に行く時には個人的な見方として、技術的な価値は抜きに「好き」か「嫌い」か、「いいと思う」か「そうでもない」か、「ビッとくる」か「ビッとこない」かでしか見ることができません。
しかし、いろんな企画をしている手前、その企画全体が「面白いか」「面白くないか」という視点はどうしても持ってしまいます。美術館でいろんな企画がされているのですが、美術・アート系の展示などは、美術館でやることで意味があるものと、そうでないものがあるのではないか。と前々から思っていました。それが何かはっきりしないまま、つきつめないままぼんやりと過ごしていたのですが、ここで言語化されていました。
美術館に行くときは、誰しも「非日常」を求めていきます。なので、企画者もそういう目線でつくりこんでいるような気がします。「お客さんは非日常を求めている。」という意識でつくられているのがわかる展示が、なんとなくハメられているようで心地が良くないのです。
都会にある美術館であるべき展示、地方の美術館であるべき展示。野外でやった方が生きるような展示。僕は特定の場、そこでしかできない展示に興味があるように思います。風土や美術館自体が持つ力、時間軸のタイミングがピッタリの企画はやっぱりおもしろいと思います。
うちのお隣の筑後市に九州芸文館という複合施設が建設されました。その建設自体、建物自体には賛否両論ありますが、内部空間は普通の美術館と違い、変則的な空間で、ここでしかない企画はできそうな仕上がりです。筑後地方にはいろんな素材がころがっているので、ぜひこの空間を活かしながら運営してほしい。僕らももう少し力をたくわえ、少し大きな企画ができるようになれば、ぜひ使ってみたいと思います。
岡本太郎の太陽の塔を見た時、圧倒的なパワーを感じました。そして、この前は鎌倉の大仏。パブリックアートとは何か?というのは、良くわかりませんが、公共空間でも圧倒的な力強さはありましたので、僕にとってはパブリックアートってこんな感じなのかな。という印象があります。
僕の中では、日常と非日常、場の持つ力と人との関係を考えさせられた本でした。
Chim↑Pom(チン↑ポム)
2005年、卯白竜太・エリイ・林靖高・岡田将孝・水野俊紀・稲岡求の6名で結成したアーティスト集団。時代のリアルに反射神経で反応し、現代社会に全力で介入した強い社会的メッセージを持つ作品で知られる。彼らの活動への注目は国内にとどまらず、国際展をはじめとして海外での発表も多い。東日本大震災をきっかけに開催した2011年5月の個展「REAL TIMES」では、渋谷駅に設置された岡本太郎の壁画<明日の神話>に福島第一原発事故の絵を付け足した作品も展示し話題となった。表現活動は作品の発表だけでなく、「美術手帖」(「Chim↑Pomプラゼンツ REAL TIMES」特集、2012年)や「ひっくりかえる」展(ワタリウム美術館、2012年)といったキュレーション、連載など多岐にわたる。著書に「Chim↑Pom – チンポム作品集(河出書房新社)」「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか(阿部謙一との共編書、河出書房新社)」がある。2012年秋には第二作品集の刊行も予定されている。2012年秋から2013年にかけて日本とアメリカの個展も開催予定。
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