【地域のこと/観光協会】ビー玉遊びに、氷屋さん、電話交換手。ものがなかった戦後から見える、ものと人の関係とは。/Yame Rediscovery vol.29

【地域のこと/観光協会】ビー玉遊びに、氷屋さん、電話交換手。ものがなかった戦後から見える、ものと人の関係とは。/Yame Rediscovery vol.29

観光案内士のみなさんの話を伺っていると、「現在の八女」はもちろん今は見ることの出来ない「当時の八女」が目の前に現れてくるような瞬間があります。本で読むより何より、当時を生きた人のお話はよりリアルなものです。

私たちの世代は戦争のことを聞いたことはあれども体験したことがありません。だからこそ、今のようにものがなかった時代の人々の強さというものを、みなさんのお話を通じて八女の町並みに感じとることは大事なことかなと思っています。

今回お話を伺ったのは観光案内士の下川さん。ちょうど太平洋戦争が始まった1941年のお生まれで今年で77歳なんだそうですが、とても元気でお若いです!そんな下川さんには戦後の学生時代と関わりのある<熊野神社>と<土橋市場>に連れていってもらいました。

ものがないなら自分で作る。熊野神社の大きなクスノキの下で遊んだ頃の思い出。

鈍土羅を3号線沿いに向かって車を走らせ、<熊野神社>へ。境内に足を踏み入れると真ん中にはとてつもなく巨大なクスノキが。「こんなに大きなの初めて見ました!!」と取材組も思わず感動するほどの圧巻の大きさで、御神木とされているのも納得の神々しさを感じます。

幼き頃の下川さんはここで草野球をしたり、竹とんぼをつくったり、ビー玉を手に入れるべくラムネの瓶を探しにいったり。戦後ものがなかった時代に身の回りのものを駆使して自由に遊ぶ、これが当時の少年たちの極意。ゲーム機やスマホで遊ぶのももちろん楽しいですが、自分たちで一からものを作り出す喜びや面白さってやっぱり、ありますよね。

周りの環境はすっかり変わってしまっていても、クスノキを中心として神社の境内の空間は昔のまま。生まれ育ったこの地域から離れてしまった下川さんも、40〜50年ぶりに訪れたそうですが、当時の空気や感情も思い出されているようでした。改めて「神社」や「公園」など、変わらない場所のある大切さを感じました。

クスノキの下には防空壕があったそう。

 

当時の賑わいを思い浮かべながら歩く。生き抜くための場所、土橋市場。

<土橋市場>は一度この連載でも紹介したことがあります。戦後に境内の中に闇市が形成され、次第に市場として機能していった八女の人々の生活には欠かせなかった場所で、現在では神社の境内の中に、スナックや飲食店、おしゃれな雑貨屋さんなどが入る全国的にも珍しいスポットとなっています。

下川さんもこの土橋市場とは縁がありました。市場の鳥居を出て左側には魚屋さんが立ち並んでいたのだそうでが、当時魚屋さんは同時に氷屋さんでもあり、家庭に冷蔵庫などなかった時代、飲食店や家々に氷を届けるのが下川さんの高校時代のアルバイトとしての仕事だったそうです。

そして魚屋さんの斜め向かいには映画館が2館もあったのだとか。「何回も回すけんフィルムがちぎれたりしよった」と語る下川さん。それほど、映画は当時の人々にとって30円で楽しめる唯一の大衆娯楽として愛されていたのでしょう。今はなきその映画館の跡地に思いを馳せます。

当時魚屋さんだった場所。今は民家とフィリピン料理屋さん。

もはやファンタジー感もある「電話交換手」という仕事。人々の会話をつなぐのもまた、人。

ちなみに、下川さんは高校を卒業されてから、郵便局で「電話交換手」として働いていたそう!いまでは「公衆電話」ですら、使ったことのない世代が出てきていますが、「電話交換手」も私たちにとったら、もう映画の中の世界です。

当時、受話器を取ると電話交換手につながり、「なになにさんへ繋いでください」とお願いして、繋いでもらって初めて会話ができました。

同じ地域内であれば、一人の交換手だけですみますが、遠距離の電話などであれば、各地の電話交換手を経由しながら、糸電話のように地道に繋いでいく必要があったため、とてもお金も時間もかかることでした。

だからこそ「電話交換手」は、八女から各地へ、各地から八女へ、人々の会話を繋ぐ当時欠かせない仕事でした。下川さんも務めていらした矢部村の住人やお店の電話番号は、すべて暗記していたそうです。

当時の当たり前が全て変わっていく。たった50〜60年のほどの間にどれだけの変化があったのかと、下川さんとお話ししていると改めて驚かされることばかりです。

ありがたみだけじゃない。人々の繋がりを知ってこそわかるものの良さ。

ビー玉遊びに氷屋さん、電話交換手。どれも今はもう見かけないものとなってしまいました。ただ1つ共通することがあります。

それは「ものがなくてもそこに人がいる」ということ。裏を返せばものが溢れかえる今の時代、代わりに様々な仕事や文化がなくなってきてしまっているのも事実です。きっとこれからも、AIが発達したり、技術が進化して行って、失くなる仕事は出てくるでしょう。

でも、やっぱりコンビニで買うアイスより誰かが運んできてくれた氷で作るかき氷の方が染みるほど美味しいし、SNSでみる情報よりもようやく繋がった電話の話はより濃いものです。

ものがないからこそのありがたみというより、ものに関わる人々が見えるからこその味わいなんだと思います。どんなに技術が発達しても、その「人」ありきの味わいを求める人間の性は、なくならないような気がします。八女にはものと人との関わりがまだまだ多く残っているのではないのでしょうか。

<熊野神社>に<土橋市場>、私は今回初めて訪れたのですが、時代を生き抜く人々の強さを感じられる場所です。大きなクスノキを眺めて深呼吸したあとは市場でちょっと一杯…?なんて当時の八女も現在の八女も、どちらも味わうのもやはり、醍醐味でしょう。原(二)・渡邊

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