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【地域のこと】人の記憶が映し出す、町の姿。うなぎの寝床の建物のかつての面影を追う / Yame Rediscovery vol.11

7月 2nd, 2018

【地域のこと】人の記憶が映し出す、町の姿。うなぎの寝床の建物のかつての面影を追う / Yame Rediscovery vol.11

八女で育ち、八女福島の町の変遷を見つめてきた「観光案内士」の1人である、丸林久恵さん。実はうなぎの寝床がいま入っている町家の建物「丸林本家」と深いつながりのある方でもあります。

丸林さんの人生は、子供時代の遊び場、嫁ぎ先、そして仕事場など、うなぎ寝床と連なる3つの建物「丸林本家」の周りを舞台につむがれていきました。今回はちょっとディープなお話ですが、これを知るとうなぎのお店周辺がちょっと違って見えてくるはずです。

遊び場だったところが仕事場に。運命のいたずら

うなぎの寝床の裏に、水路があるのは知っていますか?その水路に沿って歩いていくと、下げ飾り人形の展示やワークショップのできる「ギャラリー楽虎(らっこ)」があります。そこで下げ飾り人形をつくっている小山さんは、丸林さんの妹さんです。

丸林さんが中学生のときに、今のギャラリー楽虎の建物に引っ越してきました。100年以上前に建てられているそうで、大正時代の構造をそのまま引き継いで改修しながら、今も現役です。丸林さんは、2人の妹さんとの3人姉妹で、お父さんお母さんと家族5人でそこで暮らしていました。

丸林さんはここから水路沿いを通って、学校へ行ったり遊びに行ったり。いつも通る道でも、魚が今よりたくさんいて、いろいろな植物が茂って、楽しい道だったそうです。水路沿いは裏道にもかかわらず、ラムネ屋さんや御簾屋さん、表の道沿いには自転車屋さんや魚屋さん、料亭など、今はないお店が当時はたくさん並んでいました。

水路沿いの今は駐車場になっているところに、昔は提灯屋さんの倉庫がありました。丸林さんは、その提灯屋さんの分家の方とお友達でした。その倉庫の2階に荷物を上げ下げするロープで、ターザンごっこをしてよく遊んでいたそうです。

提灯屋さんの名前は丸林本家。もうお察しの方もいますよね?丸林さんは、大人になり、子供の頃からご近所で幼馴染だった丸林家に嫁ぐことになった、というわけです。

丸林本家は、今のうなぎの寝床とゲストハウス川のじ、その隣を合わせた3軒と、その道向かいの建物を仕事場として、提灯のガワ(上下に付ける木の枠)をつくっていました。今は建物だけが残っていますが、その使われ方は今とは全く違っていました。

変わりゆく人と建物と、変わらない思い出の中の風景

今は3軒きっぱりと壁で仕切られて別々の建物になっていますが、当時は1階が全部つながっていました。向かっていちばん左が主に仕事場で、右にいくにつれてだんだん住居スペースに。この向かいにある建物も丸林本家の仕事場でした。当時は、道をはさんで行ったり来たりしながら仕事をしていたそうで、人の往来が盛んだったことが想像できます。

今の川のじの建物は、道に面した板の間にはおじさんがいて、その横の階段(今とは向きが違います)の前にはおばあちゃんが火鉢を置いて座っていました。おばあちゃんはそこから道ゆく人に声をかけていたそうです。

今うなぎの寝床になっているところは、本家の方の住居スペースでした。土間をまっすぐ奥に進んだところは、格子戸ごしに庭を眺めながら食事をつくれる、すごく雰囲気のいい広い台所だったそう。丸林さんのお気に入りで、よく隣からのぞいていたみたいです。

建物の裏の水路沿いもよく手入れされ、とくに紫陽花がとてもきれいに咲いていたそうです。梅の木もあって、みんなで布を広げて梅の実を落としました。当時の植物は今も少し残っているようですが、このときの庭の様子を見られたら素敵だなあと思ってしまいます。

なんと、当時の写真を見せてくださいました。「本家の裏」とのメモなので、おそらくうなぎの寝床の裏にあたるところです。少年の後ろにある石灯籠は、今でも庭に立っています。私たちは石灯籠を眺めますが、石灯籠はとてつもなく長い間、人のいとなみや建物が変わっていくのを見てきたんですね。

当時の風景ー3つの建物が繋がっていて、庭には手入れされたあじさい、水路沿いにならぶラムネ屋さんや御簾屋さん。今となっては想像するのも難しいくらい変わってしまいましたが、今とは違う風景の中で丸林さんは生きていました。そんなストーリーを聞きながら八女を散策してみるのも、素敵な楽しみ方だと思います。河合

 


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