【雑感にょろり】酒井田柿右衛門のルーツ。地名に残る人々の痕跡。

【雑感にょろり】酒井田柿右衛門のルーツ。地名に残る人々の痕跡。

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春夏秋冬の美しさ。時間の流れが変わる無量寿院の境内。

うなぎの寝床のお店のある通りには、無量寿院と呼ばれる立派なお寺があります。その美しい参道は、春は桜で覆い尽くされ、この季節は青々とした緑と木漏れ日を楽しむことができます。先日、フラッと立ち寄ってみたら、足元にはツワブキの葉がびっしり。11月頃にはツワブキの黄色い花が一斉に咲いて、一面が黄色の絨毯のようになるそうです。

一歩足を踏み入れると、外とは違う時間の流れを感じることができるお寺や神社。長い間、土地の歴史とともに存在し続けてきたからかもしれません。無量寿院はもともとは八女南部の酒井田地区に行基が738年に開基したといわれ、最盛期は寺の境内は5町にも及ぶ大寺院でした。江戸時代に田中吉政が筑後国の領主となると、1601年に酒井田村から福島城のあった現在の場所に移転され、それ以来ずっと八女・福島地区を見守り続けています。

酒井田柿右衛門一族のルーツは八女・酒井田村。

この酒井田という地名は、実は有田焼の巨匠「酒井田柿右衛門家」のルーツでもあります。鎌倉時代は上妻氏の領地として「筑後国上妻庄」と呼ばれていた八女地方。その上妻家の所領がいくつかに分かれ、上妻一族であった酒井田家が領有するようになった場所こそ、現在の酒井田地区なのです。

その後、戦国時代末期の1582年、当時九州の覇権を争っていた肥前・龍造寺家と豊後・大友家が、現在の八女市立花地区の「辺春城(へばる)」で激しく戦った際、勝利した龍造寺家の人質にとられたのが、初代・柿右衛門の父、酒井田弥次郎でした。まだ10歳だった弥次郎は、肥前白石郷(現在の佐賀県杵島郡)で成長します。その後、1596年に生まれた息子の喜三右衛門(後の柿右衛門)と共に、肥前白石郷で瓦を焼き、白磁器が見つかってからは有田に移住して陶磁器を作り始めたのだそうです。住む人は変わっても、土地は同じ場所にあり続けるからこそ発見できる歴史の面白さです。渡邊

【無量寿院】
〒834-0031 福岡県八女市本町283−1
※うなぎの寝床からすぐ
電話: 0943-22-2469
FAX: 0943-22-6453

【書籍】福岡八女福島 まちづくりの記録
うなぎHP: http://bit.ly/1hZhzZR
通販:http://bit.ly/24B8Tns

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