【2000文字コラム 渡邊令】木工作家、山口和宏さん。個性を追うのではなく、使いたいと思ってもらえる木工を。

【2000文字コラム 渡邊令】木工作家、山口和宏さん。個性を追うのではなく、使いたいと思ってもらえる木工を。

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試行錯誤の先に見えた、自分の個性。
モノと人に対する丁寧な姿勢と、愛情と。

モノを通して知る世界。ディープな点を探りに。

うなぎの寝床では、現時点で約70件の作り手のモノを扱っています。筑後地域を中心として、車で一日行ける範囲(現代における生活圏)という縛りをつけた上で、この地域の魅力を点ではなく面で見られることが、お店のコンセプトの一つの肝なのかなと個人的には思っています。ただ、面としての魅力は、もちろん作り手一件一件の深みがあるからこそ。私はモノそのものから「感じる」というよりは、その背景のうにょうにょした情報の方に興味を持つタイプなので、モノを通してだけではなく、モノだけからは得られない情報も併せて、自ら知って伝えていきたいなと思っています。そこで最近は、店長でバイヤーのハルさんが仕入れに行く時などに付いていって、作り手の皆さんにお話を聞きにいったりしています。先日は、うきは市吉井町の木工作家、山口和宏さん(60歳)の工房にお邪魔してきました。

木工と出会うまでの、山口さんの紆余曲折話。

北九州で生まれ育った山口さん。とにかく謙虚で、物腰柔らかな雰囲気からは、木という素材や木工作家という職業に、何の抵抗もなく入っていかれたように感じていましたが、お話を伺ってみると、いろいろな試行錯誤の末にたどり着かれた道なのだと分かりました。地元の高校を卒業してから、サラリーマンをしていたそうですが、人付き合いや決まったルーティーンの繰り返しがどうしても苦手で辞め、色々なバイトをしていたそうです。その後、お祖父様が大工だったのもあり、数寄屋大工のイメージに惹かれて弟子入りしますが、高所恐怖症であることが発覚したり、一般住宅の工務店だったこともあり、これまた向いていないことに気づきます。

そんな頃に出会ったのが『緑の生活』という本。岐阜の飛騨高山で自然に根ざした工芸村を作る「オーク・ヴィレッジ」という活動を紹介した本で、その頃の山口さんは「これが僕が求めていたような仕事や生活だ!」と感じたそうです。そこからあちこち理想を求めて訪ねていく中で、まだ星野村で源太窯を開いたばかりだった若き頃の山本源太さんのところにも、通うようになります。源太さんから星野民藝という家具メーカーについて教えてもらい、訪ねていったところ、家具作りを学ぶ若い人たちが他にも勉強に来ていて、とてもいい雰囲気だったのもあり、当時26歳だった山口さんはその場で入社を決めます。

基礎を学んだ星野村。先輩たちからの刺激を受けて。

家具作りでは素人だった山口さん。星野民藝では、主にカバザクラという材を使い、図面通りに最終的な仕上げまで一人で作り上げるのが基本でした。最初は額縁などの簡単なものから始め、椅子、テーブル、棚、タンスなど徐々に難しいものを作れるようになっていったといいます。図面と材を与えられ、あくまでも「正確に早く美しく」作り上げるため、個人の考え方などを入れる要素はなかったそうですが、効率的にモノを作る基本的な技術を身につけることができたといいます。

何よりも、同じ時期に家具を作っていた若い人達が、技術や知識も豊富でとても刺激的だったそうです。ちょうど民藝家具のブームの頃でしたが、まだ手作りの家具はそこまで多くなく、参考にする先輩や専門書などもない時代。だから皆が参考にしていたのは、人間国宝の黒田辰秋や林二郎など、木工の伝統工芸の巨匠や、ジョージ中島・ジョージクレノフなど海外で活躍した家具デザイナーなどでした。技術だけではなく芸術の要素や、いろんなものを生かしながら作る考え方などを見ながら、当時の山口さんは「僕には到底こんなのできないなー」という思いだけがあったそうです。その後、独立をした山口さんは、受注家具を中心に個人で製作を始めます。1995年に現在の工房を構える吉井町に引っ越してきてからは、カッティングボードや木のお皿などの小物も作り始めるようになったそうです。

個性ってなんだろう。我を出すのではなく、求められるものを形作る。

以前は、作り続けていけば自分独自の個性的なスタイルができるんだろうなーと、漠然と思いながらやっていたという山口さん。それが最近になって自分にはそういう才能がないと、やっと気づいた、とおっしゃいます。スリップウェアから着想を得て、その質感を陶器ではなく木で表現してみたり、我谷盆(わがたぼん)やこね鉢などからイメージしたお盆を作ってみたり、形や質感にはこだわりはあるものの、最終的には「使ってみたいと思ってもらえるモノ」を作るのが、自分の仕事だと思うようになったそうです。何より、注文家具と違って、お皿やカトラリーはいろいろな人との接点を作ってくれるもので、とても楽しいのだそうです。

カトラリーだけではなく家具も再び。覚悟して付き合っていくものづくり。

最近は、椅子をまた作り始めたいと思うようになったという山口さん。家具は道具や機械など、一つの型に合わせて設備投資をする必要があり、覚悟がないとできないものだそうですが、そういう厄介な部分も含めて好きになって付き合っていかないといきたいと思うようになったそうです。「こうすればうまくできる」と分かってしまった時点で、人間は見えてしまったと錯覚してしまうといいます。

「こういう形に作ればいいんだ」と思い込んでしまうとそれで終わってしまうから、いつも見えない部分を探す新鮮な気持ちが、作り続けるためには不可欠だと語ってくださいました。お話を聞いてからは、その目の前のモノに対して向き合うその丁寧な姿勢と、ちょっと恋愛にも近いような情熱的な気持ちが、山口さんの作品からもにじみ出ているように感じました。渡邊

 

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工程についてお聞きする。ハルさんと山口さん。

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うなぎでも取り扱わせてもらってるお盆

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こっぱくん。端材を使ったスツール。

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山口さんのいろいろ器やカッティングボード。

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山口さんが木工と出会うきっかけとなった本。

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山口さんの書棚。

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カッティングボードを作る端材

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のみー

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