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【2000文字コラム 渡邊令】久留米絣の織元シリーズ ⑹ 次世代まで織り続けていくために@野村織物 / “Kurume kasuri” weavers’ interview series 6: Nomura Orimono

5月 14th, 2016

【2000文字コラム 渡邊令】久留米絣の織元シリーズ ⑹ 次世代まで織り続けていくために@野村織物 / “Kurume kasuri” weavers’ interview series 6: Nomura Orimono

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120年続く事業を継ぐ重み
「生地作り」を続ける経営マインド

会社と技術の引き継ぎ方。自分の運命との向き合い方。

今年の「もんぺ博覧会」に向けた久留米絣の織元シリーズ、いよいよ最後のインタビューです。今回、私が個人的に最も考えさせられたことの一つが、それぞれの織元にとっての「継ぐ形」でした。個性や家族の特性、時代背景、事業規模など様々な要因によって違いが生まれ、それぞれの特徴と強みにつながっていると感じます。その違いの要因の一つに、個人として「技術」を継ぐのか、家族や会社単位の「事業」を継ぐのかという意識の違いがあるように思います。親から子へ、反発しあいながらも技をつないでいく職人的な織元もあれば、家族経営の事業を継続していくため、販路や生産体制を変化させていっている織元もあります。もちろん完全に分離できる要素ではありませんが、このような考え方の違いが事業規模や形態に表れていることは、野村織物の4代目・野村周太郎さん(41歳)のお話からも実感できました。

野村織物さんは1898年創業の老舗織元の一つで、戦時中の統制を経て1953年に2代目が本家から独立をし、もともと軍需工場だった現在の土地で再スタートを切った織元です。3代目の父・野村哲也さん(71歳)は、高校卒業とともに家業に入り、早い時期から自社での染色を始めるなどの設備投資を行い、しっかりと柄を構築する正統派の織元として着実に事業を発展させていきます。3人兄弟の次男として生まれた周太郎さんは、小さい頃から家の手伝いはしていたものの自分が継ぐとは思っておらず、一つ上の優秀な兄と比べられるのが嫌で、中学卒業と共に地元を離れて、三重県の全寮制高校へ進学します。その後東京の大学を卒業後、大手自動車会社の法人営業として勤めていたある年のお正月、公務員を目指す兄が結婚を機に家を出ることになり「あとはよろしく」と言われたことで、周太郎さんの運命が大きく動きます。

織元たるもの、生地を作ってなんぼ。祖父の言葉を大切に。

「今思えば、経営状態や久留米絣業界の現状について、何も知らなかったからこそ戻ってこれた」と話す周太郎さんですが、当時はあまり悩むことはなく、自然と「継がなければ」という感情が芽生えたといいます。10数年ぶりに故郷へ戻ってきたのは、2003年3月、周太郎さんが26歳のときでした。帰ってきた頃は、ちょうど時代の変わり目だったといいます。元々は問屋さんなどから発注のあった柄を作るのがメインでしたが、久留米絣業界全体の需要が少しずつ減っていく中、直接販売や自社での洋服作りなどを行う織元も出てきていました。周太郎さんは工場を手伝いながら営業や販売をメインに担当し、オリジナルの生地作りなどにも取り組んでいきます。催事などで販売できるように、もんぺや洋服なども20数年前から少量ながら作っており、一時はネット販売も考えていたそうですが、2代目の祖父の「織元たるもの、生地を作ってなんぼ」という基本方針を踏襲し、売ることではなく作ることに専念します。

野村織物さんの最大の強みは、糸のくくり以外のすべての工程を自社で行っていること。特に多くの織元で外注している「図案描き」と「染色」の自社で行っているため、お客さんの要望にも柔軟かつスピーディーに対応できるのが特徴です。そして、高難度のたてよこ絣(たて糸もよこ糸も縛って先染めした模様)も常に生産しており、久留米絣の醍醐味である柄物を織る体制も整っています。業界全体での需要が減っていっている中、いい生地をしっかりと作り、生産反数を落とさずに織り続けていくのが目標だと語る周太郎さん。2008年に亡くなった叔父の後を継ぎ、染色を任されるようになってから、サラリーマン時代には味わえなかったものづくりの面白さとやりがいが増したそうで、久留米絣の未来についても希望が持てるようになったといいます。

 

親から子へ。続けていくという「使命」。

今回インタビューさせて頂いた織元さんの中には、「背中を見て学べ」的な親子もいらっしゃいましたが、野村さん親子の場合は、常に会話をしながら一緒に取り組むスタイル。もちろん意見が一致しないこともあったそうで、無地の生地も効率的に織れるように設備投資をしようと提案した周太郎さんに対し、「職人さんの腕がにぶる」と父・哲也さんは当初反対していたそうですが、最近1台分だけ無地用の木管と糸巻き機を導入したそうです。そんなアンティーク物の60〜70年前の織機の調整や修理なども織元さんの大切な仕事の一つですが、その技術を哲也さんから学べるよう、毎朝一緒に機械を見ているといいます。

「家族」と呼ぶ11人の社員を抱え、会社として生き残っていくためにはどうしたらいいのか、非常に冷静に考えながら、しっかりと取り組んでいる姿勢が、整った工場と正統派の久留米絣の生地から垣間見えてきました。続けないといけないというのは一種の「使命」だと語る周太郎さん。昨年誕生した長男の圭吾くんに対しては、今はただ元気に育って欲しいという思いだけだそうですが、将来的に「やりたい」と思ってもらえるかどうかは自分にかかっているからこそ、いい仕事をし続けたいという言葉にずっしりとした重みを感じずにはいられませんでした。渡邊∈(゜◎゜)∋ ウナー

【MONPE】
http://monpe.info
【久留米絣もんぺ通販】
http://bit.ly/1bLYM5p

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布干し場で風に揺られる久留米絣の布。
Kasuri textile finished weaving, being dried under a sunny breeze.

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野村織物の工場。この敷地は元々軍需工場だったそう。
The mill of Nomura Orimono.

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工場には、12台の小幅シャトル織機が並ぶ。職人さん1人で4台を担当する。
There are twelve short width antique shuttle looms in the mill. Four looms are looked after per person.

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久留米絣の伝統柄が様々な色で表現されている。
Traditional kasuri ikat patterne dyed and weaved in various colors

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空に舞う鯉のぼりを見上げている野村さんと、うなぎ渡邊
We are looking at “koi-nobori” (koi fish swimming in the sky): a traditional carp shaped windsocks to celebrate children’s day in Japan.

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経糸の整経を終え、織機にかけられるのを待つ糸たち。
Beamed warp yarn waiting to be weaved
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シャトルに巻かれたよこ糸。白い部分は生地の端っこの「耳」と呼ばれる部分。これを目印に柄を合わせていく。
The shuttle for the weft yarn waiting to be weaved: the white part is the selvage

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