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【2000字コラム 渡邊令】久留米絣の織元シリーズ ⑵ DNAは脈々と続く@丸亀織物 / “Kurume kasuri” weavers’ interview series 2: Marugame Orimono

5月 7th, 2016

【2000字コラム 渡邊令】久留米絣の織元シリーズ ⑵ DNAは脈々と続く@丸亀織物 / “Kurume kasuri” weavers’ interview series 2: Marugame Orimono

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4代目・丸山重徳さん(左)と、5代目・丸山重俊さん(右)。父と息子で、火事を乗り越え、新工場完成。
Father and son, working together to open their new kasuri textile mill, after a big fire three years ago burnt everything.

父と息子の二人三脚
火事にも負けない、チャレンジ精神

●誰でも着られる「もんぺ」。丸亀さんの挑戦。

「もんぺ博覧会」も今年で6年目。初回は「うなぎの寝床」のお店もまだ存在していない2011年、八女伝統工芸館の企画展として開催されたイベントでした。当時、久留米絣は主に年配の女性などに向けた洋服や商品がほとんどで、若い男性が着られるようなようなものが「もんぺ」しかなかったそうです(※うなぎの寝床代表 白水さん談)。それでとりあえず買って着てみると、通気性が抜群で着心地がとにかく良く、もんぺを切り口に、幅広い年代層に久留米絣を紹介するという企画に発展します。筑後・八女・広川地域に30件残る久留米絣の織元の中で、自社でもんぺを製作し販売しているところはほとんどなく、広川の丸亀織物さんはそんな数少ない織元の一つでした。ほとんどの織元は、久留米絣の産業を支える問屋さんへの生地の卸が事業の大きな軸ですが、丸亀織物さんは4代目の丸山重徳さん(63歳)が中心となって、20年近く前から久留米絣の生地の服などを自社で販売していた織元です。創業は140年以上前の明治初期と思われ、最初は出機(でばた)だけの織屋さんだったそうです。2代目の織物全盛期の時代には自社で染色もするようになり、織り子さんや女中さんも住み込みで抱えるほど成長し、2代目は趣味の狩猟に何ヶ月も出ていたといいます。しかし3代目の時代には、戦時中の織物製造の統制で休業せざるを得なくなり、戦後に再び「丸亀絣織物」としてスタートします。4代目の重徳さんはそんな家業の苦労を見てきたからこそ、若い頃から継ぎたいという思いは全くなく、卒業後1年間は手伝ったものの、背負うものが大きすぎて家を出て、25歳まで福岡で飲食業をしていましたが、お祖母様の入院をきっかけに戻ってくる決意をしたそうです。久留米絣の需要と生産量がどんどんと減っていく中、重徳さんはそれまでの久留米絣にはなかった変わった柄や色にも挑戦し、卸だけでなく販売もするなど、どんどん新しい試みを展開していきます。

●洋服作りを学び、久留米絣を生かす

丸亀織物さんは「もんぺ博覧会」でも、パッチワークのもんぺ、ハーフパンツ、サルエルパンツなど毎年新しい提案をされていますが、服のデザインや企画などで今の丸亀織物さんを引っ張っているのは、5代目で息子さんの丸山重徳さん(31歳)。小さい頃は家業に興味はなかったそうですが、料理や工作が好きで、高校の先生に「自分ちが絣屋さんなんだから、絣しなさいよ」と言われて「やってみようかなー」と思い、高校卒業後は服飾の専門学校へ行きます。最初は予備知識もほとんどなく、学校のファッションショーのために生地を30反ほどを家から持ってきて使ったところ、先生から「あなたたち、この生地がどういう生地か分かって使ってるの?」と言われて、初めて絣について調べ始め「すげえな、うちの生地!」と気づいたそうです。現代はプリント生地やジャガード織機で織った柄物の生地が多い中、ただの平織りでこれだけの柄が表現できることの凄さや、何世代も続けて着られることが当たり前ではないことなど、外へ出てから気づくことも多かったといいます。家業に入ってからは、父・重徳さんから教えてもらえる織物の製造は後回しに、販売のことを勉強するため、催事やイベントなどで日本中を巡り、伸び縮みしないという久留米絣の特性や独特な柄の生かし方を学びながら、たくさん洋服を作ったそうです。

●全てを焼き尽くした火事。再起したいという息子の思い。

そんな最中の2013年9月、丸亀絣織物の工場とご自宅が火事に遭われてしまい、織機も織物も思い出の品もすべて、焼かれて失くなってしまいます。「正直なところ・・・これでやっと辞められるなぁと。家も工場も失くなって、良かったという意味ではないけど、やっと楽になれると思った」と父・重徳さんは火事の後、思われたそうです。ところが息子の重俊さんからは「絣を続けたい」という言葉が出ます。しかも、生地をよそから仕入れて、洋服を作ることになるだろうと思っていたら、重俊さんは自分のところで製造する気満々。その気持ちに引っ張られるように、廃業した織元さんや同業の織元さんからのサポートで織機を手に入れ、2年半かけて少しずつ生産を回復し、2016年1月には無事に新工場が完成。「自分のところで織られた絣を売りたい」という重俊さんのは思いは、それまで販売を担当してきたからこそ持ったもの。仕入れて商売をするには絣はリスクが高い商材で、他の伝統工芸でもっと生産効率の良い仕事はいくらでもある中、自分たちで織っているということで熱も入るし、胸を張って販売できたのだといいます。新工場が完成した今、これからは少しずつ販売を人に任せていきながら、商品企画・生地作り・見せ方などにも力を入れていきたい話す姿は、生き生きしているように感じました。

●「継ぐ」とは新たな創業。伝えていく役割。

インタビューの中で「自分は5代目だけど、1代目という気持ちでスタートしてます」という言葉があって、とても印象に残っています。火事という大変な経験をされているからこその言葉だとは思いますが、丸亀織物さんに限らず、「継ぐ」ということは新たな創業でもあるのだと改めて感じます。それと同時に、たとえ織機も図案も在庫も全て失くなってしまったとしても、必ずしもモノには縛られない哲学の部分、新たなチャレンジをしたいという精神的なDNAは脈々と続いていくんだろうということも、仲良く話す丸山さん親子を見ていて感じました。今後、産地としての久留米絣は織元の数が減っていくのは確実で、商売が楽になることはないだろうけど、いま後継ぎのいる織元はどこも個性的で、それぞれの色がはっきりとあるのが希望だと、重俊さんは話されていました。それは、今回6件の織元をインタビューさせてもらった中だけでも、よく分かります。だからこそ久留米絣全体としての魅力のみならず、それぞれの布・人・家族・歴史の背景と特徴を伝える必要性があるのだと思いますし、そこは織元さんにはできない役割もあります。多くの人にとってはそこまで知らなくてもいい情報かもしれません。でもそうやって個性が形成されていき、自他共に特徴が明確になっていくことは、産地にとっても買う方・使う方にとっても必要なことと信じ、続けていきたいと思います。渡邊 ∈(゜◎゜)∋ ウナー

【MONPE】
http://monpe.info
【久留米絣もんぺ通販】
http://bit.ly/1bLYM5p

 

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丸亀絣織物の新しい工場
Marugame Kasuri Orimono’s new textile mill

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新工場のシャトル織機12台は廃業した織元や、近くの織元から譲り受けたものなど。メンテナンスをしながら、少しずつ動かしている。
12 shuttle looms in the new textile mill has been given by mills that has closed business our other factories

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すでに新工場では織物も作られています!
The new factory is already starting to make new fabric!

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新しいたて糸の整経用の機械
The new warp beaming machine

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まだよこ絣が多いが、少しずつたて絣・たてよこ絣も作っていきたいという
Now they are mainly making single ikat textile, but they are hoping to start double ikat too

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たくみ
“Takumi” (meaning artisan)

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織機の中には豊田織機もある(いまのTOYOTAです)
Vintage Toyota shuttle looms are also being used


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