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【研究まにまに】絣のルートをたどる:琉球商人の貿易路

10月 6th, 2016

南の窓口としての琉球。

絣の源流をたどる上で外せない土地が沖縄です。絣の技術がどのように日本本土に入ったのか。これまでの研究で最も支持されているルートは、インドで発生した絣の技術がインドネシアなど東南アジアに伝わり、15世紀頃にそこから琉球に入って、最終的に日本列島までもたらされたというものです。

学生時代の世界史の授業で、琉球商人の活動がジャワ島やスマトラ島まで達していたとは学んでいましたが、それとこの絣の伝播の話は、私のなかでいまひとつつながっていませんでした。

しかし中本正智「大陸と列島の文化交流史考察」に書かれていた下記の文を読んだ瞬間、それらは一気にリンクしました。

「…1429年に尚巴志によって統一された琉球王国が出現する。これら統一の原動力となったのは中国とその周辺を航行して得た中継貿易の利益であった。琉球王国が中国と正式に交易するのは、1372年、明代の太祖洪武帝の招諭にはじまる。琉球王国の中継貿易はしだいに隆盛に向かい、季節風で船を走らせ、北は朝鮮半島から南はスマトラまでの東シナ海と南シナ海の沿岸を覆う広い海域で活躍した」(pp.327-328)

これを地図で示してみると、このようになります。

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地図中のピンは、絣を製作している地域を示しています。これに、高校の世界史の内容を重ね合わせたものがこちらです。

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これらはすべて、絣製作が非常に盛んな地域。特にインドネシアは、絣のメッカともいえるようなところです。

こうしてみると、こんなに絣のある地域と交流していて、琉球に絣が入ってこないというのはむしろ考えにくいことです。

スティンチカム女史は、沖縄の八重山(筆者注:石垣島、竹富島など南部の島々)のが「絣に儀式的性格が残る最北の地域で、東南アジア文化圏と近い関係にあった可能性がある」(1999, p35)と述べています。琉球絣については長くなりますのでここでは割愛しますが、紋様はまったく違えど、絣に付与された意味合いが東南アジアにおけるそれと近いというのは、やはりこの地域との交流史の名残なのかもしれません。

これは、久留米をはじめとする日本本土の絣にはない性質です。この違いも、これからより探っていきたい部分です。岡本

《本日の参考文献》
・中本正智「大陸と列島の文化交流史考察」中国福建省・琉球列島交渉史研究調査委員会・編『中国福建省・琉球列島交渉史の研究』、第一書房、1995年 掲載

・スティンチカム、アマンダ「八重山における絣の儀式的用途ーその実態と東南アジア交流の可能性ー」沖縄文化研究(25)、法政大学、1999年

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