【つくりて訪問記】 -しもうら弁天会- 海に囲まれた島の文化は「石」だった!
「下浦土玩具」は、「しもうらどろがんぐ」と読む
熊本県天草市の下浦町。この地域では「土」と書いて「どろ」と読むそうで、「つち」というと何かお洒落な感じがするのだとか。その下浦町で「下浦土玩具(しもうらどろがんぐ)」をつくっている「しもうら弁天会」を訪問してきました。
天草では江戸時代から「天草土人形(あまくさどろにんぎょう)」がつくられています。「しもうら弁天会」は、その土人形を継承するために土玩具を始めたつくりてさん、と思っていたのですが、今回、副会長の宗像桂子さんにお話を伺ってみると全く違っていました。そもそも2つの人形のつくり方が違うこと、「しもうら弁天会」を結成した目的は別にあること、そして、2017年の結成時には想像していなかった8年目の現在地、など新たな発見の連続でした。
棚の中が「天草土人形」、棚の上が「下浦土玩具」
「天草土人形」と、「下浦土玩具」
想いは引き継ぎ、新たに刷新
「天草土人形」と呼ばれる土人形は、江戸時代から農業の副業としてつくられてきました。始まりは、佐賀県唐津の瓦職人がつくってみせた人形だそうです。現在も継承されていて、天草市役所の近くにある天草文化交流館で、天草土人形保存会の方が製作・販売されています。つくり方は、江戸時代から伝わる表裏2枚組の型に、粘土の生地を指でおしつけてつくる『手押し製法』です。
「下浦土玩具」の鋳込み型に、土を流し込んだところ
一方、「しもうら弁天会」が2017年からつくり始めた「下浦土玩具」は、天草土人形の文化を継承しようという想いから始まりましたが、実は、つくり方もデザインも全く異なる、新しい人形です。デザイナーがつくった人形から、表裏2枚組の型を新しくつくり、2枚をくっ付けてできた空洞のなかに、底の穴から、白土に水をまぜたドロドロの土を流し込んで成型する『鋳込み製法』です。型に土を入れて乾かし、余分な土を流し出す。この工程を数回繰り返して、最終的に型のなかで自然乾燥させます。
土から人形に形づくる方法は違うけれど、副業としてつくられているところは同じです。「しもうら弁天会」では29名のメンバーでシフトを組み、分業制で平日の午前中に製作を行っています。
左)成形担当の菅原利満さん、右)絵付け担当の春日真穂さん
2人とも約5年目のベテラン
「下浦土玩具」がもつ愛らしさの秘密
タオルを使った磨き技!?
土を入れて数日後。乾いたら、鋳込型を外して形を整え、表面を磨き仕上げるのですが、磨くのに使う道具は、目の粗さが異なる3種類のタオルです。焼成前の土人形を1体、1体を手作業で丁寧に磨き上げることで、つい触りたくなる、つるつるで、きれいな丸みをもつフォルムが完成します。
完全に乾いたら電気窯で焼成し、絵付けをします。全体に白色を塗り、それぞれのデザインを描きます。うなぎの寝床でも販売している、「めじろおし」、「ひっぱりだこ」、「弁天さま」など縁起物をモチーフとしています。他にもいろいろなデザインがあり、絵付けは3名で分担されています。
九州一の「石工」の島
世界遺産にも使われている「下浦石」
海に面し、傾斜地が多い下浦地区は、石工と柑橘類が主な産業です。今は橋で繋がっていますが、昔は複数の島だったのを干拓しているため平地は少ないそうです。この地域で大量に採れる「下浦石」が良質の砂岩だったことから石工が盛んになり、山から切り出した石を削り、干満の差を利用して湾から海にでて、船で長崎などに運んでいました。砂岩のため削りやすく、滑りにくいのが特徴で、神社の狛犬のほか、長崎の軍艦島、旧グラバー邸などで今も活躍しています。
石切り場の跡「弁天石切丁場跡」を宗像桂子さんに案内いただいた
「しもうら弁天会」結成の目的
地域の文化を次の世代へ伝えるため
一大産業だった石工ですが、仕事が減っていき、墓石を立てる人も減り、産業として消えつつあります。かつて栄えた地域の歴史を、次の世代に伝え、残していくためには何をしたらよいのか。自分たちでできることから始めよう。そんな想いで地域のメンバー8人が集まり「しもうら弁天会」は結成されました。その活動は、石工文化を後世に伝えるオリジナル曲 「下浦石工唄 」の制作と、地域の小学生の歌声によるCD製作へと続いています。今後の目標は、今は石柱だけが残っている「弁天石切丁場跡」を再生して屋根をつけること、と宗像さんに説明いただきました。
それで、なぜ土人形づくりをしているかというと、石切丁場跡の調査の時に一緒になったデザイナーさんとのつながりから土人形をつくることになり、「しもうら弁天会」でつくってみることになったそうです。その時には「天草土人形」の研修を受け、新しい「鋳込み型」を苦労して完成させ、ほぼ初心者のメンバーで分担して作り始めました。無印良品の福缶に取り上げられ、コロナ禍でアマビエが大人気となり、今では利益がでるまでになりました。
2017年の結成から8年目
想いが伝わり、広がっていく「つながり」
石工産業の文化を伝えながら、下浦土人形をつくり、地域の祭りも一緒にやる。コミュニティ活動でありながら利益を生みだし、熊本県内だけでなく関東圏とのつながりもますます強くなり、高校生や大学生を受け入れる民泊も行っています。学生と一緒に生活をするなかで、宗像さんは学生と喧嘩もするし、怒ったりもする。そんな宗像さんの人に対する想いや、地域を伝える想いが伝わるからか、なんと、関東圏の大学を卒業した4名が天草に移住してきたそうです。天草エアラインや地元のTV局などに就職し、「しもうら弁天会」の活動にも関わっています。
副会長をつとめる宗像桂子さんは、下浦町から30分くらいの天草市のご出身です。社会福祉協議会や老人福祉施設のセンター長として務めるなかで、町づくりやソーシャルワーカーとして多くの人の相談を受けてきた経歴をお持ちです。小さい時から、面白いことをしたい!と思って行動してきたそうで、今もそれは変わらないようです。人と深くかかわる仕事を続けてきた宗像さんは、「先のことを計画しても、予定どおりにはならない。今を楽しくやっていけば大丈夫。」と語られます。そんな宗像さんの素敵な人柄とパワフルな行動力があってこそ、「しもうら弁天会」の地域の人々を巻き込み、地域外の人を呼び込む活動が今につながっているのだなー、と納得して帰ってまいりました。(小西)