【地域のこと/観光協会】あかりが映し出した昼と夜のまちの顔。八女のまつり「あかりとちゃっぽんぽん」レポート / Yame Rediscovery vol.24

【地域のこと/観光協会】あかりが映し出した昼と夜のまちの顔。八女のまつり「あかりとちゃっぽんぽん」レポート / Yame Rediscovery vol.24

昔むかし、電気がなかったころ、人々は火を使って「あかり」を灯しました。それは日が沈み暗くなったところでも、作業をするためであったり、何かの目印として示すためであったり、移動時にあたりを見渡すためであったり。あかりは単に周りを明るくするだけでなく、人々を集め、同じ方向に導く役割を果たしていました。

一方現代では、スイッチを押せば照明はつくし、道には街灯があふれ、いつでも夜は明るい。人々は集まらずとも個々に活動することができるようになり、あかりへのありがたみを忘れてしまいました。

9月22日-24日まで開催された八女のお祭り「あかりとちゃっぽんぽん」は、連日多くの人が訪れ、八女福島の日常の中に「非日常」が生まれた、賑やかな週末となりました。あかりで照らし出された昼と夜の八女の町を通して、人と「あかり」の関係を考えてみました。


9月22日土曜日。この日は朝から快晴で、絶好のお祭り日和。

午後13時、燈籠人形の会場である福嶋八幡宮には、30分後の開演を待つ人がたくさん。また後見役を務める子供たちが袴を身にまとい歩きづらそうに手を引かれています。たくさんの人が出入りする屋台は、初回公演の準備で忙しない様子がうかがえます。開演5分前にもなると客席もその後ろの石垣も観客でいっぱい。ドーンという太鼓の大きな音が数回鳴り響くと会場が一気に緊張に包まれ、舞台の幕が開きます。

今年の演目は、「吉野山狐忠信初音の鼓」。追討の命を受け、山中に身を隠した源義経に、静御前が佐藤忠信らに守られて会いに行こうとするも、道中で忠信が二人になり義経はどちらが本物の忠信か見分けるように静御前に命じます。実は親狐の皮で作られた初音の鼓に愛着を持ち、子狐が忠信の代わりに静御前を守っていました。その献身に打たれた義経は、狐忠信に初音の鼓を授けるという物語です。

燈籠人形の操作は下と横から行われるため、舞台の下と横では人形方と呼ばれる人たちがいて人形や舞台装置を動かしているはずですが、まったくその気配が感じられません。ただ2階で演奏されるお囃子に合わせて人形が舞い踊り、背景が変わります。終盤には狐が舞台から飛び出ていく仕組みも。270年もの間培われてきた技術と新しいチャレンジの裏にはいったいどれだけの人の努力があったのでしょうか。

公演が終わったあと、聞こえてきた親子の会話。
「この屋台はね、釘を使わずに建てて、解体してを毎年繰り返すんだよ」
「へーすごいね!」
地域で作り上げてきた文化は、こうした何気ない会話から次の世代に引き継がれていくのかもしれません。

伝統を守り続けることは容易ではありません。町が一体となって、自らの文化に誇りを持ち、後世につないでいこうという一つの目標に向かっていかなければならない。そして時には「変化」も受け入れていかなければならない。ただ続けるだけでは、続かないのです。
いま時代の変わり目のあるからこそ、残すための道筋を探し試行錯誤しながら活動している保存会をはじめとする町の人たちの思いが、燈籠人形という伝統行事の行く先を照らす「あかり」となっていました。


福嶋八幡宮前から伸びる通りは町屋まつりのメインストリート。あちこちの町屋でイベントが開催されており、子供たちや観光客でにぎわう通りは、普段の静かな八女福島とはちがう、非日常の賑やかさであふれていました。

午後6時過ぎ、日が沈み始め、提灯のあかりがぼんやりと目立ってきました。淡いオレンジ色へと変化した提灯と竹燈明のあかりが街をつつみます。町屋の白壁に、提灯。その組み合わせがなんともいえない幻想的な雰囲気を醸し、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのよう。
提灯のそばに設置されたばんこでは、ゆっくりとお酒をたしなむ人たち。あかりには自然と人が集まり、会話が生まれる作用があるのです。

もともと職人たちが各々の技術を競っていたあかり絵は、今では子供たちや創作を行う人たちの発表の場となっています。和紙を用い、多様な色で光を放つあかり絵は、それぞれのグループのオリジナリティあふれる作品への思いが込められていました。

夜の燈籠人形の公演を観に行こうと再び八幡宮を訪れると、そこには昼の倍ほどの人が。客席も、その後ろの石垣も満席のようでした。やはり夜は、屋台にぶら下げられた提灯がよく映え、屋台がより厳かに見えます。

夜、あかりが灯るだけで、普段は見られないような不思議な空間と時間が生まれるのは何故なのでしょう。産地であるにもかかわらず、これだけの提灯がこの町並みに飾られることはありません。

地元八女の人にとっても、外から訪れた人にとっても、少しいつもと見え方の違う八女を見られたのは、今後の町の未来のイメージにも関わってくるのではないかと思います。


昼と夜で、まったく違う顔を見せてくれた、燈籠人形と八女の町並み。そこには「あかり」の存在がありました。人が集うあかり、伝統工芸としてのあかり。そして人と人がつながることによって生まれる、心にともるあかり。

新しいお祭りの改革元年でもあった今年のまつりを受け、また来年そして次代へとどう繋がっていくのか、楽しみです。森・渡邊

 

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