【日々のこと】うなぎの2階の行方。

うなぎの寝床 2F 町家

久留米絣を中心にした織物研究所。
研究開発&布ストックをベースにした店として。

2015年1月から新しい仲間である新開さんがうなぎの寝床に加わり、今まで僕の事務所と物置だったうなぎの2階をオープンさせるための準備をコツコツと進めています。久留米絣と関わりはじめて4年と少し、まだまだ未知数な部分が多いのですが、布の製造工程や工房の特徴(ごく一部)、布の特性や、久留米絣の工房で表現できること、できないことなど、理解が進んでいる部分も大分でてきました。そして、柳川出身の服のデザイナーである新開さんが入ってくれたことで、久留米絣に関するプロジェクトを、もう少し地に足をつけた形で実践していきたいと考えています。

他の織物や、布文化の歴史の中で、
どういう位置づけにあるのか?

今、世間的に見ると久留米絣は「伝統工芸」と呼ばれる領域に属しています。しかし、よく見ると現在の繊維産業と手仕事の間くらいに位置してると思います。藍染手織りの領域は完全に伝統工芸・作家的な領域に含まれると思いますが、化学染料機会織りは絶妙なバランスで世の中に位置していると思います。価格の面、製造の面、素材の面。ただ、今の販売方法を続けていったとしたら、多分衰退していくように思います。実際大きな流れでは生産反数が減ってきているようです。織元さんに「機を増やして、生産量を増やすという可能性はあるんですか?」と聞くと、あまり良い答えは返ってきません。いろんな問題があるのはわかります。機の音の問題や、織機自体がもう生産されていないという問題や、職人さんをしっかり育てないといけないという問題。あらゆる問題があるのもわかってきました。でも、なーんとなくの僕の感覚では、もう一度生産規模をもう少し増やすことが可能なんじゃないかと考えています。生産規模を増やすことが幸せか?という根本的な問いは心に止めながら、衰退していっているという現状を考えると「生産量を増やす!」というモチベーションで取り組むくらいが、生産維持につながるのではないかと考えています。

他の産地に学ぶ。
他の産地から盗む。

去年、インドに行ったことをきっかけに、インドの布の歴史などを調べています。他の産地や歴史から学ぶことは多いです。インドは階級社会もあり、独特の布文化を形成している国です。

【ムガール帝国時代(十六世紀〜十九世紀)には、支配階級の人達がインドにおける高度な染色工の存在に驚嘆しそれらに、手厚い保護と助成を惜しみませんでした。彼らはイスラム諸国から技術や染織品を輸入し、ペルシャや中央アジアから織物職人や刺繍職人を呼び寄せ、宮廷付属の染織工房を設けて、インドの染織界に活力を与え、新しい染織品の想像を促しました】(スイスバーゼル民族博物館蔵 インドの伝統染織より)。

僕は、インドにいくまで国産の技術や、地域の技術は土地に根ざし、わりと内向きのものとして捉えていました。その土地から生まれ、コツコツと発展し、あんまり外とは入り交じらないものが良いんじゃないかと。しかし、最近は少し考え方が変わってきています。上の文章に見られるように、こういう事例からも学ぶことはあります。

パトロンの存在と、そこから文化として定着へ。
日本には少ないとは思いますが、パトロンの存在があってもいいんじゃないかと思いました。上記の事例で言えば、支配階級の人たちがパトロンであり、自分たちの権威を示すために職人のレベルアップを求め、結果それが文化として定着していくということだと思います。昔は日本でもこれがあったのではないかと思います。殿様や大名が自分の品位を示すために、御用窯や権威を示すための着物を製作させる。それには高度な技術が必要なので、それを職人はそれを目指す。それが、その土地に広く知られ、文化として定着する。そんな流れもいいかなと思っています。

去年インドに行った時、二つの会社とやりとりをしましたが、片方の会社は絞り染めに見せられ、それを特化して製作していました。もう一つの会社は伝統的な絞り染め、絣(ikat)、蠟纈染め、ブロックプリント、ハンドプリント、刺繍、様々な染めの技術から、織りの技術までかなり幅広く習得している会社でした。

久留米絣の工房に、そんな多様な技術を全部やった方が良いです。とは言い切れません。絣を織る技術が他の産地よりも優れているので、生き残ってきたという経緯もあります。しかし、何か次の時代を見据え、生き残れる戦略が必要だとも感じています。このまま絣を続けていき残って行くのか?違う技術などを習得し、そこで特異性を見いだしていくのか?それは、うちが決めていくことではありませんが、今様々な人とやりとりをさせてもらう機会も増えたので、その様々な可能性だけは探っていこうと思います。

織物や繊維関係、服飾関係に関する書籍など
閲覧できるようにしたい。

僕が最近あれこれ衣料、材料、織物などで読んだ本や資料などは、うなぎの寝床の2階で見れるようにしたいと思います。久留米絣の発信拠点として、そして織物、布文化の研究所として、3月くらいをオープンの目標にしながら、今コツコツと進めていますので、どうぞお楽しみに。

白水

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