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【雑感にょろり】最初で最後の筑後国主「田中吉政 時代展」

5月 15th, 2016

【雑感にょろり】最初で最後の筑後国主「田中吉政 時代展」

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八女の幻のお城、福島城。一体何があったのか!?

「うなぎの寝床」のお店がある八女・福島エリアには「福島城跡」があります。八女に来た当初、「一体どんなお殿様が住んでいたのだろう!」とワクワクして調べてみたものの、江戸初期に数十年で廃城になってしまい、その後は商人・農民だけの町「在郷町(在方町)」として発展したと知り、一体どういう経緯で廃城になったのか、興味はありつつも調べる暇なく時間が経ってしまっていました。

筑後統一の短い夢。都市設計のエキスパートだった、田中吉政。

そんな中、ちょうど来週22日(日)まで八女伝統工芸館で「初代筑後国主 田中吉政 時代展」が開催されていることで、覗きに行ってきました。この田中吉政、戦国武将好きの方はご存知なのかもしれませんが、1600年の関ヶ原の戦いで徳川側(東軍)に付き、西軍を率いた石田三成を捕縛した功績を認められ、筑後一国32万石を与えられるのです。ここでいう「筑後一国」とは久留米・八女・柳川・三瀬など、今でいう福岡県南部の地域一体を示す広大な範囲。その中で吉政は、今では水郷として有名な柳川の堀を整備し「柳川城」を中心拠点として、水運・陸路・水害対策など筑後一体の大規模なインフラ工事を進めた「都市設計・土木設計のエキスパート」だったそうです。

お家騒動で廃城に・・・。筑後国の分断の歴史。

八女・福島城も支城として大規模な拡張が行われ、三男の田中康政が城主となります。しかし1609年に死去した吉政は四男の忠政を筑後国の後継ぎにしており、いわゆる「お家騒動」が勃発。しかも四男・忠政は36歳の若さで後継ぎなく亡くなってしまい、1620年には田中家は改易(更迭)されてしまいます。その後、筑後国は久留米藩(有馬家)と柳川藩(立花家)に分断され、矢部川を境にいさかいが絶えなかったと聞きます。「筑後国」が一つとなって治められていたのは、江戸初期のわずか20年だったのです。一体続いていたらどんなだったろうか・・・と考えるのが歴史のロマンですね。

【イベント】
「初代筑後国主 田中吉政 時代展」
・日時=5月12日(木)~22日(日)、9時~17時(月曜休館)
・会場=八女伝統工芸館 (入場無料)
〒834-0031 福岡県八女市本町2-123-2
※24日(火)からは同会場で「もんぺ博覧会 八女展」が開催されます!

【書籍】福岡八女福島 まちづくりの記録
うなぎHP: http://bit.ly/1hZhzZR
通販:http://bit.ly/24B8Tns

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