【もんぺ博・文化祭まで14日!】制限の中から生まれる、美しい「織り」の世界 / 九州ちくごの作り手⑦ 宮田織物株式会社

 

【もんぺ博・文化祭まで14日!】制限の中から生まれる、美しい「織り」の世界 / 九州ちくごの作り手⑦ 宮田織物株式会社

https://note.mu/unagi_watanabe/n/nfec6f14bc2b4
うなぎの寝床が活動する、福岡南部の筑後地域では、200年ほど前から「久留米絣(かすり)」と呼ばれる綿織物が織られてきました。

「織物」と聞くと難しく考えてしまいがちですが、一番わかりやすいのは、中島みゆきさんの「糸」。「♪たーての糸はあなたー、よーこの糸はわたしー」というあの歌です。

ようは、織物は一番シンプルに考えると「たて糸」と「よこ糸」でできています。それ以上でもそれ以下でもありません。あとは、どうやって模様を作るのか?どういう色を使うのか?どうやって立体感を生むのか?などが、加わっていきます。

限られた素材や色の中で、どうやって効率的に美しい模様や表現を生むか。古代から人間が考えてきたことでしょう。そんな中で「絣(かすり)」というのは、たて糸とよこ糸のシンプルな平織りでありながら、糸を縛って染めることで模様を生み出す技法なのです。

しかし、技術の発展とともに、織り機がどんどん進化していきます。手織りの機械ではできなかったことが、できるようになっていくのです。

そんな中で、久留米絣の産地でも絣織物から移行して、新しい織機を導入して、新しい織物を作り始める織元も出てきました。

そんな織元の一つが、宮田織物です。いったいどんな技術でどんな織物を作っているのでしょうか?つくる現場を覗いてみましょう。

レピア織機で織りなす独特の立体感。糸から布へ、そして服へ。
宮田織物では、久留米絣で使われている小幅のシャトル織機ではなく、もう一段階進化した広幅の「レピア織機」という織り機を主に使っています。

小幅のシャトル織機から、広幅のレピア織機への転換を決めたのは、宮田織物現会長の宮田智さん(87歳)が、家業を継いだばかりの1958年頃。

広島の備後絣の織元の中には、同じ時代に洋服用の広幅織機に転換し、繊維・デニム業界で大きく成長したところもありますが(カイハラ株式会社など)、久留米絣の織元の中で広幅に転換したところはそれほど多くはありません。

智さんは、自社の織物を使い、その後の宮田織物の代名詞にもなる「綿入れ袢天」の製造を1965年から開始します。1980年代には、なんと年間55万枚もの袢天を販売していたそうです。

しかし、その後繊維産業が次々と海外へ工場を作り、価格競争が激しくなるにつれ、厳しい状況に追い込まれていきます。

当時の生地は全て綿65%・化繊35%で、安価で様々な柄の袢天を作っていましたが、織屋も問屋さんもお客さんも幸せにしない既存の形に見切りをつけた智さんは、15年ほど前に再び大きな方向転換をはかります。

綿100%の生地を主軸におき、袢天だけではなく洋服まで一貫生産を行い、アパレルメーカーなどへも販路を広げていくのです。2013年には3代目の娘・吉開ひとみさんが社長に就任し、「和木綿」をコンセプトに掲げて、デザイン・製造・縫製・自社サイトでの販売まで一貫生産を行っています。

普通の織物メーカーではわざわざ作らないような、機械による効率化と手仕事の領域を融合させたような布作り・服作りを行っている、この地域では特異なメーカーなのです。

宮田織物では、レピア織機を最大限に生かし、技術的な限界までこだわって、表現豊かなテキスタイルを作っています。

糸の色や太さ、そして「組織織り」と呼ばれる技法で立体感を生むように事前に設計し、たて糸一本一本を綜絖(そうこう)と呼ばれる織機に設置される器具に、手作業で通して行く「引き込み」と呼ばれる工程が、宮田織物の技術の真骨頂。

今回の九州ちくごものづくり文化祭ではそんなテキスタイルのデザインの工程や、引き込みの工程を実演していただきながら、改めて「織物」とは何か?を学び考える、テキスタイル講座を開催します。

◉織るってどういうこと?宮田織物のテキスタイル解剖講座
① 5月27日(日) 11:00-12:30 @旧寺崎邸
② 5月27日(日) 16:30-18:00 @旧寺崎邸
– 内容 テキスタイル講座+糸の綜絖(そうこう)引き込み体験+あだち珈琲ワンドリンク付
– 参加費 1,500円(ワンドリンク付) / 募集人数 最大20名
お申込み方法:
① WEBフォーム / https://bit.ly/2qHZfj8
② メール / u-info@unagino-nedoko.net
③ TEL / 0943-24-8021(旧寺崎邸)
企画:株式会社うなぎの寝床

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