工と芸の分離。

工芸・民芸からの
「芸」の脱却と共存の可能性を探る

2年半、ちくご地方のものづくりに携わりました。伝統工芸と呼ばれる領域のものも扱っています。その中にはもう工芸や民芸と呼ばれる領域には収まらないものもいくつかあります。それは、正確にいうと収めることができない領域のものです。作り手の人もまだ日常使いで使って欲しいと願っていますし、周りの応援している人もそう願っています。

僕も最近までそう願っていたのですが、それはもう時代が許さないので、今が過渡期でありアウトプット先を考え直さなければならない時期なのではないかと思考するようになりました。僕は工芸と呼ばれる領域の芸の部分はもう分離しなければならない分野が多数でてきていると考えています。「工芸」の単体の漢字の意味を見て行きましょう。

「工」
1 物を作り出す仕事。巧みなわざ。
2 物を作る人。職人。
3 「工学」「工業」の略。

「芸」(芸術から引用)
1 特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動。および、その所産。絵画・彫刻・建築などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・映画・舞踊・オペラなどの総合芸術など。「―の秋」「―品」

日本で手仕事をするむずかしさ。
労働条件と技能を得るまでのスパン。

物を作り出す仕事の中で芸術性があるものが僕は工芸だと思っています。ここでいう物とは生活用品であり、実用性、機能性を含有したものだと考えています。今僕らが扱っているものに関しては、こういう観点からみたら工芸品なのですが(工芸を辞書で引くと少し違った定義で書いてあるけど)、もう値段と作り手の精神性などから工芸の領域には収まっていないのではないかと思うものもいくつかあります。
そういう物は実用性を完全に排除して芸術品にしてしまった方が良いと最近は考えています。作り手も意識を改革して自分をものづくりの人間としてではなく、芸術家として認識した方がいいんじゃないかとも考えています。

戦後から考えると、このたった何十年かで日本のものづくり(生活工芸品)は置かれる立場がかなり変わってきています。物が不足した時代、とにかく量をつくりました。良かろう悪かろうという時代もあったと思います。そして、人件費も高騰し大きな労働力は海外へ移動し、物の値段も下がってきました。時代に合わせて手仕事の一部を機械化し、質を担保しながら値段を落とす努力をしたり、工夫して生き残っている産業もあります。

日本の完全手仕事のアウトプット先は
芸術(アート)か教育(学校・教室)。

その中で日本の完全に手仕事の分野に関しては、日本で仕事として成立しにくい状況になっていると思います。仕事で成立しにくいというのは、相当に特殊の能力がなければ、難しいということです。それは技術的領域か、感覚的領域か。一般の人が手仕事を仕事にしよう!と思って誰でもやれることではないという意味です。また、ある程度の領域に達するには修練が必要ですが、一人でコツコツ生活を切詰めながら我慢をして修練を積めば可能、または結婚していて相方が稼いでいる場合は可能だと思います。いずれにせよ覚悟が必要です。

完全に手仕事の分野のアウトプット先は、芸術か教育だと思っています。芸術の領域まで作品を昇華させてその分野に受け入れてもらう。もしくは、手仕事の教室や学校を開き、伝授することで対価を得る。残された道はこの二つだと思っています。筑後地域のものづくりの分野でも、こうならないと生き残れそうもない産業がいくつか見えてきました。今から工夫しながら、変換させていけたらと思います。では。

白水

 

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