【2000字コラム 渡邊令】久留米絣の織元シリーズ ⑴ 「継ぐ」ってなんだ。@津留織物 / “Kurume kasuri” weavers’ interview series 1: Tsuru Orimono

【2000字コラム 渡邊令】久留米絣の織元シリーズ ⑴ 「継ぐ」ってなんだ。@津留織物 / “Kurume kasuri” weavers’ interview series 1: Tsuru Orimono

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父が残したモノから、技術を紐解く。
「継ぐ」は現在進行形のファミリーヒストリー

 

●単純なバトン渡しではない「継ぐ」という行為

5月から日本全国でスタートする、うなぎの寝床の恒例イベント「もんぺ博覧会」。うなぎの寝床オリジナルもんぺだけではなく、他の久留米絣の織元さんの色とりどりのもんぺが、ずらっと一堂に会し、各織元の生地の特徴や違いを実際に見て触って感じることのできる、貴重な機会です。今回はそんな「もんぺ博覧会」のコンセプトへの原点回帰として、関わってくれる織元さんへのインタビューを行い、継ぐことになった経緯やこだわりのポイント、久留米絣業界全体への思いなど、普段はなかなか突っ込んで聞けない部分を伺っています。特に改めて考えさせられたのが、「継ぐ」という行為について。「日本の伝統文化、伝統工芸の世界において、技術や文化を次世代へ受け継いでいくこと」と、言葉にするとシンプルに感じられますが、実際にどのようにして継いでいくのかを考えてみると、リレーのバトンのようにポンと渡して終わり、というわけにはいきません。それにハタと気付いたのが、津留織物の4代目、津留政次さん(45歳)のお話を伺って。4人兄弟の一番下だった政次さんは、小さい頃はほとんど織物に興味もなく、継ぐことになるとは微塵も思っていなかったといいます。高校卒業と共に福岡で大学に進学し、広告代理店や子供服の営業販売などを経て、自分で商売してみたいと思うようになり、34歳の時に地元で飲食業を始めるため戻ってこられたそうです。でもよくよく考えてみれば、実家も自営業。その5年前から一番上のお姉さんも家業を手伝い始めていたのもあり、自分も始めてみようと飛び込んだのでした。一昨年の7月に亡くなられたお父様で3代目の津留泰道さんは、昔ながらの職人気質で知られ、4台の小幅シャトル織機で手織り並みの緻密な柄を表現し、久留米絣の技術の限界を追求する「小柄の津留さん」として地元では良く知られた職人さんでした。ちなみに「小柄」というのは体格のことではなく、糸を模様通りに縛って先染めしてから織る絣(かすり)の技法において、経糸(たていと)も緯糸(よこいと)も縛って柄を合わせる「たてよこ絣」が、小さい柄であればあるほど技術的に難しいことから来ているのですが、政次さんは小さい頃から家の手伝いもほとんどさせてもらえず、絣の技法のことも何も教わってこなかったそうで、当初はその「小柄」の意味も良く分かっていなかったといいます。「お父様は家業を継いで欲しくなかったから、お子さんたちに手伝いもさせたくなかったのでしょうか?」とお聞きしたら、「自分も血を引いてるから何となく感じることだけど・・・親父は多分、他人に自分の仕事を触られたくなかったんだと思う」と政次さんは話して下さいました。

●職人気質の津留さん親子。「家庭内分業」で技を極める。

家業に入ってからも、あまり多くを語らない父・泰道さんから直接技術を教わることは一度もなかったといいます。1年目は3万円、2年目は5万円の月給で、ひたすら地味な作業をこなす日々。染色の工程を任されるようになってからは、図案考案や織りなどの工程を行う泰道さんとは作業場も(近いながらも)別々になり、お互いの仕事を見ることもないという「家庭内分業」状態に。政次さんは自分の稼ぎを生み出すためにも、任された「染色」の工程で自分の色を出すようになり、例えば12反分の同じ柄の糸を染める際に、6反x2色、3反x4色などと染め分けることで色のバリエーションを増やし、従来の紺・白・黒など地味な色が多かった久留米絣のイメージとは真逆のポップでカラフルな織物を作るようになります。もんぺ博覧会でも、津留さんの生地ともんぺには固定ファンが多く、初めて来る方でも他の柄には目もくれず、津留さんコーナーに直行し即決するお客さんも多いです。当初は久留米絣に対して深い興味はなかったという政次さんですが、家業に入って少しして関わり始めた「JAPAN BRAND」のプロジェクトの中で、文化服装学園の若いファッション関係の子たちが生地に対して「カワイイ」という反応を示し、久留米絣が知られていないからこそ固定概念なく見てもらえて、色やデザイン次第では勝負できると、だんだんと布作りが楽しくなっていったそうです。「親父はどちらかというと、自分の納得のいく織物を作ることが目的だったと思うけど、自分は布がどう使われるのかという、作った先のところにも興味がある」と語る政次さん。今でも仕事のモチベーションはお客さんに「カワイイ!」って言ってもらえることだそうで、津留織物の工房のすぐ隣には小学校・中学校があるのですが、帰宅途中の広川の中学生たちが、織りあがって干されていたピンク色の生地を見て「あ、あれなんか可愛いねー」と聞こえてきたのが嬉しかったと語る姿が、ちょっとお茶目でした。

●亡き父の技を紐解く日々。ファミリーヒストリーの中に個性あり。

しかし染色工程に専念してきた政次さんにとって、父・泰道さんが亡くなられてからは、その技術を残されたモノから紐解く日々。「これは一体どうやって作ったんだろうか・・・」と残された大量の図案や織物をヒントに、緻密な「たてよこ絣」を織る技術を掘り起こしているといいます。継がせる気がなかったから増やさなかったんだろう、という小幅の織機4台(内1台は1903年製の年代物の豊田織機!)で作る、カラフルな少量多品種の布を最大のアイデンティティとして、津留織物としての個性を受け継ぎながら、時代の流れに合わせて自分の色も出していきたいという、政次さんの挑戦が垣間見えました。他の織元さんのインタビューでも強く感じたことですが、「継ぐ」というのは現在進行形の動詞だなと思います。始まりも終わりもはっきりしません。そして完成形もないように思います。それは継ぐという行為は単純なコピーではなくて、一人の人間のストーリーでもあり、ファミリーヒストリーでもあり、数十年という時間の流れでもあり、だからこそ時代の流れに合わせた新しい「発展形」を探す行為でもあるんだと思います。伝統文化の世界でよく言われる「守破離」のプロセスにも通じると思いますが、どのようにして技術をつなぎ、考え方を伝え、生き残っていくために時には形を変えながら試行錯誤してきたのか、その過程そのものが、各織元によって全然違うからこそ、特徴と強みになっているのだと思います。これから数回に分けて、それぞれのインタビューから感じたことを紹介したいと思います。お楽しみに。渡邊

 

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同じ柄でも、様々な色のパターンで表現する「少量多品種」生産が強みの津留織物。伝統に縛られない独特の色使いにファンも多い。
Tsuru Orimono creates different combinations of color using the same tied yarn to weave their original kasuri (ikat / tie-dye) textile.

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4代目 津留政次さんのお母様と、細かく括られた小柄の絣の糸。
Mr. Seiji Tsuru’s mother working on the tied yarn. Her husband was a well known kasuri craftsman for making both beautiful and difficult small double ikat patterns.

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織機で織られる前の緯糸(よこいと)のシャトル。政次さんのお姉さんはこのヌキ巻き工程の名人。
Shuttles waiting to be weaved on the 60~70 years old loom.

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4台の小幅シャトル織機が現在も動き続けている。
Four shuttle looms (36-38cm width) are still being used at Tsuru Orimono.

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津留さんが育ったお家でもあり、奥は染めの工房でもある。小さい頃は自分の家は織元だという意識もあまりなかったそう。
The house and atelier of Tsuru family.

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たてよこ絣の小さな柄が津留織物のアイデンティティ。
Small double ikat patterns are the identity of Tsuru Orimono.

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模様を出す部分を縛り、染めた後。
After the the tied yarn is dyed.

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津留政次さんin工房
Mr. Seiji Tsuru in his weaving studio

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様々な色に挑戦している
Different variations of color

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