【考えたこと】物がたくさん売れるということは、コミュニケーションの量が増えたということ。

物を売るということ

物がたくさん売れるということは、
コミュニケーションの量が増えたということ。

お店をはじめて丸3年が終わろうとしています。僕らがお店をはじめた当初は本当にお客さんも少なく、びっくりするくらい暇でした。この3年間やってきたことで、お客さんや友人や様々な人が広げてくれたこともあり、お客さんもかなり増えました。それ自体はとてもいいことだと思っています。ブログでお客さんが見てる中で売上の話しをするのもなんですが、売上もそれなりに伸びてきています。本当にありがとうございます。

売上は大事だけど、
本当に大事なのはそこじゃない。

しかし、売上というものは大事な指標ではあるのですが、それが目的になってしまったら、元も子もありません。売上というのは、生活を担保したり、つくりての仕事をお客さんで支えていくということだとも思っています。自分達が生活するためにちゃんと物を伝えて売るということが一つと、それは作り手に還元されていき、仕事の総量が増えて、商売としてちゃんと成り立ったら後継者ができたり、会社にしっかりとなったりという現象が起きます。そこが大事だと思います。

僕は全ての作り手が会社になったり、大きくなったり、後継者が残ったりということはやらなくていいと思います。身の丈にあったやり方でいいと思っています。なので、作り手の規模感に合わせて物の仕入れる量なども決めています(ある程度)。僕らは小さなお店なので、ある程度の規模感があるところから見たら目くそ鼻くそみたいなものですが、小さな作り手からしたら大きな卸先かもしれません。

使い手はどういう意識だったらいいんだろう?
物に関わる人を想像してみる。

トークショーなどにいくと必ず「作り手の後継者はいるのですか?国産の物が日常で使われていなくて残念だ。」という質問や感想がでます。僕はこれ自体は感情として良いと思いますが、実質的な解決策にはなっていません。使い手は、物を買う時値段だけの指標じゃなくて、これはどこでつくられて、どういう人たちがつくってるんだろう?どういうとこから送られてきて、何人の手を介してつくられたのだろう?と創造を巡らす努力が必要だと思っています。あくまでも僕は必要だと思っていて押し付けではないのですが、そういうことを考えるきっかけを多くつくれたらなぁと考えています。

100円均一で物を買う時、これに何人の人達が、何人の知恵が組み合わさってつくられたのだろうか?もしかしたら物理的な作業量や資源でみたら、100円という価格はおかしいんじゃないか?そういう思考が大事だと思います。うなぎの寝床で売っているものは、世の中では比較的高い物かもしれません。比較すると。しかし、現場をいろいろ見てみると決して高くないことはわかります。むしろこれで大丈夫なのか?と思うことの方が多いです。そういうことを考えるきっかけをつくる場をつくれればいいなと思っています。

物を買うという行為を少し見直すと社会が変わると思っています。でも、それはそれぞれが意識しないと難しいです。でも、意識するのは仕事でもないし、人間だし、なかなか難しいです。自分でさえ、もちろん全ての行為に対して意識できている訳ではありません。そうありたいとは願っていますが、一つ一つ考え直していかないといけないなーと自戒もこめて書きました。では。

白水

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