【考えたこと】久留米絣は間違いなく衰退産業である。しかし、未来は明るいと信じてる。

久留米絣

久留米絣は間違いなく衰退産業である。
しかし、未来は明るいと信じてる。

タイトルにある通り、久留米絣は紛れもない衰退産業です。これは受け入れなければならない事実です。伝統工芸に指定されるということは、衰退産業というレッテルを貼られたのと同じであると思います。文化的・技術的側面で評価されるという一方で、産業として成り立たなくなったという評価もされたということです。200年ほど続く久留米絣の歴史の中で最盛期は200万反(着物200万着分の布)をつくっていました。それが、今は大体想像するに6万反くらいでしょう。20分の1にも満たない数字です。もちろん数字だけで判断することはできませんが、減っているという事実は認識するべきでしょう。

現状を分析すると、
結構危うい匂いはする。

僕らは、実際久留米絣の産業の中に入り、取引をしています。大きな問屋さんがいくつかいらっしゃるので、そこが一つ大きな産業を支えている軸となっているのは間違いないでしょう。問屋さんの機能をよく言う人はあまりいませんが、僕は問屋がいたからまだ久留米絣が産業規模でしっかり残っているから良いと思っています。僕らはというと、問屋さんほどは生産力がなく「小さなお店にしてはよく布を買ってるなー」的な業者くらいに位置すると思います。一応、産業の中に入っている1業者としてくらいの位置づけにはなってるかなとは思います(狭い話しですが)。
そこでは、実際的にいろんな問題が見えてきます。多分外部からは見えてこないであろう後継者の問題や、原料の問題、生産効率の問題。どれかが欠けたらどうなるんだろう?と思う側面もあります。3年も関わっていると、いろんなハプニングもあります。工場が火事になったということもあったし、織元さんのお父さんが急に亡くなられたり、いつもドキッとして悲しくなります。悲しむだけでも仕方ないので、がんばろうという気持ちでかき消します。
そういう現実的な部分(本当はもう少し具体的に書きたいけど、かけない側面もあります。すみません。)を直視しながら産業を残していければなぁという気持ちになってきました。

本質は着心地にあり。
ベーシックな無地で入り口をつくる。

久留米絣は、糸を括って、染めて、織ることで柄を出して行くのが特徴です。それが視覚的な要素として最大の特徴であると同時に、小幅のシャトル織機という古いアナログな織機を使うことで、ゆっくり織りやわらかい布が織れるという副産物的な機能的要素も出てきます。僕は前者より、後者に注目しています。実際、自分で久留米絣を着てみるとすごく着心地が良かったからです。なぜ機能性に注目しているかというと、その「着心地が良かった」という主観的な一点にほかなりません。
柄をつくりこんでいくという久留米絣のアイデンティティーの部分はしっかりと受け継ぎ、続けていきながら、その着心地もしっかり伝えるためにベーシックな無地の布をつくりました。ある程度量を担保して、まず着心地を実感してもらう。その先に柄のことに興味が出てきたり、久留米絣という産業に興味が出てきたりという流れができたらなぁと考えています。久留米絣と一言で行っても、その中には様々なバリエーションがあり、その辺をしっかり理解しながら、適切につくりこみをしていきたいなと考えています。

僕はまだまだ生産量が増えると思っている。
ちゃんと売れることがわかれば業者は増える。

NHK朝の連続ドラマ「まれ」をぼんやりと眺めていました。すると、能登の輪島塗の漆職人のところに外部の経営コンサルタントの人がきて「海外で生産し、効率化をはかり、質を落とし、安い漆の器をつくる!それが輪島塗りの生き残る道じゃ!」的なことを言っていました。これは、ちょっとオーバーに表現されていましたが、あながち全てが間違っているとも言いにくいところがありました。まず、「質を落とし」という部分はあまり言い方がよくないし、やっちゃいけない部分ではあります。ただ、伝統工芸では過度にやりすぎることで値段があがっているという側面もあります。それは、現代生活をしっかり見極めながら、それにあった物を提案していく必要があると思います。工程をもう一度しっかりと見直して、そこから現代に落とし込める要素があるのならばチャレンジすることはありだと思います。
そして、受け継がれてきた技法や文化をしっかりと入れ込んで完全に質が良いものをつくることも重要だと思っています。これは、やりすぎるくらいやっていいと思います。値段も中途半端ではなくて、ガーン!とつけた方が絶対に良いと思います。それは、そのこのくらい価値があるものだよ!という提示だと思っています。安くしすぎると「あ、そんなもんか。」と終わってしまいます。
僕は客観的に久留米絣の工程や物を見てみると、商品としてバランスが良いものもあれば、高い!と思うものもあれば、これは美術的な領域でしっかり値段をつけた方がいいと思うものまで様々です。30件ほどが残る小さな産業ですが、その中でそれだけの多様性があり、いろんな方がいることが魅力的だなーと感じています。

よく、こういう産業はもう伸び悩んで、衰退する一方だ。という事は業界の人からも聞きます。でも、僕はわりとそうは思っていません。もともとゼロの状態から最盛期は200件までいったわけですし、今もちゃんと需要が増えたら、欲深い人達が「僕も久留米絣やろうかな。」というシメシメな思考になり、生産が追いつかなくなって、のれん分けが進み、生産量が伸びて行くのではないかと信じています。だから、もっと久留米絣を知ってもらい、押し売りではなく、その良さを感じてもらって、広がっていくということが大事だと思っています。ただ、適正規模というのもあって、あまり大きくなりすぎると粗悪品なども出てくるので、もしかしたら今くらいの規模が丁度良いかもしれないし、もう少し大きい方が丁度いいかもしれないし、それは見極めが必要なんじゃないかなーと思います。

ただただ、僕はこの久留米絣という産業が面白いなぁと思い、可能性を探っていきたいなと考えています。もんぺ博覧会もその取り組みの一つです。ぜひお越し下さい。嗚呼、締まった。

◯東京もんぺ博覧会 | 渋谷ロフト | 5月11日(月)〜5月27日(水)
時間:10:00~21:00
住所:〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町21-1
tel:03-3462-3807
お休み:なし
URL:http://unagino-nedoko.net/monpe2015/

読み込み中…