【考え】伝統と次の一手。

八女手透き和紙

守るべきものと、攻めるべき判断。
伝統と、現代への変換。

この一週間は、久しぶりに新たな領域の取材をしました。八女手漉き和紙、独楽、八女福島仏壇、八女提灯。どの産業も、ある時期になんらかの需要があり、急激に生産が伸び、また、なんらかの理由があり産地が縮小して、伝統工芸に指定されるという流れがあります。今もある一定規模の産業として残っているということは、需要が一定規模あるということです。

今回伺った作り手の方々は、その一定数の需要には答えながら、しっかり次の時代を見据えている方々だという実感は強く持ちました。「技術や根幹は持ちながら、それを応用していって次なる一手を打たなければ、私たちは現代において生き残って行けない」そういう意思が言葉の端々から感じられます。

僕らは、作り手よりは、消費者に近い感覚で普段過ごしているので、つくりてよりは世の中の消費動向には敏感だと思います。消費行動という言い方はあまりよくないかもしれません。普通の人が何を欲しているのか、普通の人というのはよくわかりませんね。僕らが何を欲しているのか、そこは主観的な物も強いかもしれません。今回取材に伺った作り手は、一般人(私たち)の感覚からすると、少し特殊な産業かもしれません。

それぞれの特性を知り、
次なる一手を作り手と考える。

八女手透き和紙は、表装の裏打ちの紙や伊勢型紙の和紙を漉いたり、文化財の修繕の紙を漉いたりと一般的な需要よりも業者に対して、専門家に対しての需要が多いです。八女福島仏壇は、やはり「わー素敵ー!」と買うのではなくて、やはり死と向き合い、先祖と向き合うための道具です。八女提灯も、盆提灯や神社、お祭りの提灯をつくることがメインであり、一般的な小売店、雑貨屋と呼ばれるようなところで普通に売っているものではありません。独楽に関しては「遊び」という文化が手や体を使ってという物よりも、ゲームに変わってきた現在では、年末年始に求められる縁起物としての需要が多いです。

このように、今までうなぎの寝床で紹介してきた、通常生活から少し抜け出した特殊なものづくりを、どういう位置づけで紹介していくのか、このようなものづくりに、僕らがやれることがあるのか、どういう関わり方をしたら作り手にとっても、僕らにとっても有効なのか、そういう領域を探って行く段階に来ました。

まずは、それぞれの産業の成り立ちと歴史と、事例を調べています。まずは理解しないと何も手は打てない。つくる過程や、今まで使われてきた歴史を調べることで現代へのヒントがあるような気がしてなりません(何回も同じこと書いてるな…)。ということで、ヒアリングと資料収集、調査を繰り返し行なって行く予定です。僕らは、物を販売する小売店ではありますが、同時に調査期間であり、メディアであると思っています(勝手に)。むしろ、小売店という側面は少しずつ弱まっているように感じていて、今後、どういう風に身をふっていくのか、この半年で考えていきたいと思います。

また新たな動きがいろいろと出てきそうなので、随時このブログで紹介してきます。ではでは。白水

八女手漉き和紙2
溝田和紙。光が美しい。

八女手透き和紙3
和紙の工房に伺うとピンとなるのだ。

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