【研究まにまに】マリー・アントワネットは絣がお好き

ロココなフランス宮廷と絣の関係。

前回は絣の世界的な分布についてご紹介しました。今日は主に伊豆原月絵(2012)「18世紀フランス宮廷衣装の織物の復元に関する研究」に依り、ロココ時代のフランスと絣を取り上げたいと思います。

 

絣が東インド会社によってフランスに届くには、17世紀を待たなければなりません。ヨーロッパにおける絣織にはナブホルツ(1969) 『北欧と南欧の絣織』(ドイツ語・本邦未訳)という古典的研究があり、ヨーロッパ中の絣について詳細な調査がなされているようですが、残念ながら私は未見です。ヨーロッパ各地に絣が入ってきた時期などの記述もあるようですので、この資料を入手した際にはまたご報告したいと思います。

さて、華やかなりし18世紀のフランス宮廷。豪華な衣装が作られる一方で、シノワズリ(中国趣味)が流行、インドやトルコの織物も珍重されていました。「公」の宮廷に対して「私」のサロンが発達するにつれ、その「柔らかい」「自由」といったイメージが、アジアの軽いシルクや木綿に投影されたようです。アジアから捺染・更紗や絣が輸入され、それと並んで輸入品の模倣も製作されるようになりました。

絣 – chiné à la branche”(シネ・ア・ラ・ブランシュ)- は主にリヨンの織物工場で作られ、この工場を庇護していたルイ15世の公妾・ポンパドゥール夫人に愛用されました。夫人が好んだ大柄の絣織物は「ポンパドゥール・タフタ」と呼ばれ、宮廷のファッションに大きな影響を与えました。当時、現在の久留米絣と同じ「くくり」の技法で、大きな模様をたて糸に染め込むことができたのはここだけだったそうです。模様の輪郭がぼやけたリヨンの絣は「水に濡れたような柄」と評されました。こちらは京都服飾文化研究財団のオンラインギャラリーで閲覧可能です。ぜひ柄を拡大してみて下さい。

しかし、王妃マリー・アントワネットの好んだ絣は大柄ではありませんでした。彼女の衣裳に関しては、1782年製の詳細な見本帳が残っており、上記の伊豆原氏の研究は、ここから絣の生地を探し出して調査したものです。それによると、繊細で小さい柄の絣が大変好まれて注文されていたそうで、なかには無地に見えるくらい細かい柄もあったそうです。伊豆原氏の論文には、カラー図版でこの絣の生地見本が掲載されています

「どれも縦長の幾何学的な紋様で、縦に配列されている」とありますので、これらは前回ご紹介した、うなぎの寝床の「ずらしストライプ」もんぺなどと同じ、たての糸をあらかじめ染めて模様を出す、経絣(たてがすり)であるようです。この先染めに当たって、染める部分と染めない部分を分けるために糸を縛ることを「くくり」と言います。

絣の模様を表現する当時の技術には、より時間を短縮可能な方法もすでにあったようですが、王妃の好んだような精緻な模様は、この先染めに当たって、手でひとつひとつ糸をくくって表現したものである可能性を氏は指摘しています。それは現代においてもなお、大変手間と時間がかかり、高い技術を要する方法です。

うなぎの寝床がお付き合いをしている工房では、「藍染絣工房」さんがこの手くくりで染めをされており、非常に複雑な柄も実現されています。

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マリー・アントワネットといえば派手なイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、服装の好みはそれとは少し違ったようです。皆様はどう解釈されるでしょうか?

 

シネ・ア・ラ・ブランシュは、神戸ファッション美術館にも収蔵されています。お近くの方はぜひ見にいらしてみて下さい。岡本

 

《本日の文献》(出現順)
伊豆原月絵「18 世紀フランス宮廷衣裳の織物の復元に関する研究 ―シネの技術―」大阪樟蔭女子大学研究紀要 第2巻、2012年。
・『月刊 染織α 1994年11月号』染織と生活社
・Nabholz-Kartaschoff, Marie-Louise. Ikatgewebe aus Nord- und Südeuropa. Pharos Verlag Hansrudolf Schwabe AG, 1969.
“Dress (“robe à la française”) c. 1765-France” 公益財団法人 京都服飾文化研究財団 KCIデジタル・アーカイブス
神戸ファッション美術館

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